Seth Network Japan
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 (ロバーツの解説)マークはすっかり唖然として、すわっていました。わたしはもちろん、トランス状態に入っていたわけですが、彼を知っているわたしには、セスの太い声でロブに向かってこんな風に話しながら行ったり来たりしているわたしを、彼がまじまじと見つめている様子が目に浮かびます。セッションの始まる前、セスのことを手短に説明した際、ロブはセスに訊きたい質問がないかとマークに尋ねてありました。ここでマークが「意識と進化のつながりに興味がある」と言うと、間髪をいれずにセスは、こう言いました。

 君達の友人の質問に答えたいと思う…。彼が訊いているのは、いわゆる不活性な形態の中に自意識が登場したポイントのことだ(生物は進化していく過程のどこで自意識を持つようになったのかということ)。さて、君達も知ってのとおり、全ての形態には意識がある。従って、言ってみれば、自意識がトランペットの音(ファンファーレ)と共に登場したポイントなどはない。意識とは、君達の界層面(生存形態の水準。プレーン。ここでは物理的世界と同義)において最初に生成された物質が(すでに)持って生まれたものだ。

 自意識はそのすぐ後に現れたのだが、それは君達が人間的な自意識とでも呼びたがるものとは違う。こう言うことで君達の自我を傷つけたくはないし、君達が「(こういう説明は)反則だ!」と叫ぶ声が聞こえる気もするが、様々な種類の意識に実際的な区別というものはない。

 自らに対する意識は、あるかないかのいずれかだ。1本の樹には自分が樹だという意識がある。その樹が自分を岩だと思うようなことはない。犬は自分が猫ではないことを知っている。私がここで指摘しようとしているのは、自意識は必ず人間性というものを伴わねばならないとする、この自己本位も甚(はなは)だしい思い上がりだ。自意識を持つのに人間である必然性はない。

 いわゆる人間的な意識というものも突然現れたわけではない。我々の友、猿は気の毒なことに(人間と比較されて)悪く言われるが、彼(猿)は突然、毛深い胸を叩いて「僕は人間だ!」と歓喜の声をあげたわけではない。その一方で、人間的意識の発端は多細胞の集合体がある程度、込み入った場(フィールド)のパターンを形成し始めると、すぐに芽生えた。

 人間の意識に関する限り、それが現れた特定のポイントはないものの、(君達の表現で言えば)それ以前には人間の意識が存在しないように見えたポイントというのはある。洞窟に住む(太古の)人間でも、自分が人間であるという意識は充分に発達していたが、人間の構想図は(すでに)魚の中に生きていた。

 我々は心の遺伝子の話をしてきたが、それらの遺伝子は多かれ少なかれ、物質(を形作るため)の心的な青写真であり、その青写真の中に、君達のようなタイプの人間的自意識のパターンが存在したわけだ。