Seth Network Japan
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情熱にあふれた生き方

個人的セッション集 第7巻
削除されたセッション 1983/12/14

マサ 訳

 (世間の)親達は否定的な言葉を延々と繰り返すことで子供が自分に寄せている信頼を弱体化させていくことがよくある。「こんなことをしてはいけない」、「そんなことはダメ」といった発言だ。

 (長い休止)それは実質的に子供を脅かす結果になる。もちろん、親自身も普通は自分のしていることを理解していない。(たとえば)母親が「転ぶから走っちゃいけません」とか「そんなにおしゃべりしているとみんなから嫌われるわよ」などと言うこともあるだろう。いずれにしても、子供達はよく、正しい行動は専ら危険を避けることから成り立っているのだという観念を抱いて成長する。「楽しさ」ではなく「苦痛を避けること」に重きが置かれるわけだ。子供達は自分の感情を「表すexpress」よりも「抑え込むrepress」方を教わることになる。

 重要なのは大人達(休止)自身が子供だった頃に(目を向けると)そういった事例が見つかることだ。大人になった彼等は、自分の中ではある意味で「思いやりのある親」の格好をしていられる。しかし、自分自身の行動に対して思いやりをもつことを学び、人生というもの自体が一つの表現であって抑圧ではないのだと悟れば、それもそこでおしまいにできるのだが。

 子供の頃にこうしたネガティブな(観念)パターンがあると、大人になっても自由を怖れることになる。それは自由というものが(当人の目には)生活や健康に対する脅威を意味しているかのように見えるからだ。もちろん、こうした不運な循環(悪循環)の犠牲になることなど全くないどころか、情熱に満ち溢れながら自由かつ健康であり続ける人々もいる。しかし殆どの人々にとってはそれでもなお、「健康」とは溢れんばかりの健やかさ、チャレンジ、実現といった状態ではなく、「病気ではないこと」を意味している。

 情熱豊かなことは子供の頃や青年期の初めだけに付きものの特性であるように見えるが、情熱に溢れるのはむしろ健康的な生命力の印だ。それは妨げられていない自然の印であり、生きとし生けるものすべてが生まれながらに受け継いでいるものだ。(情熱豊かな子供に対して)なくしてしまった感覚や懐かしいという気持ちを抱いた目を向ける大人達が多いのは、彼等が情熱に満ち溢れていた自分自身をぼんやりと憶えていて、それを振り返っているからだ。

 (4 時 32 分。(休止部分の記述は長く、口述内容に関係ないため省略)4 時 33 分に再開)

 親達は特に自分の子供が自然に遊んでいるのを見て、自分が(そうした)喜びを失ってしまったという感覚に気づくことがあるだろう。

 遊びは子供達の成長にとって非常に大切だ。子供達は遊ぶ時に、想像力、信頼、期待など、持ち前の見事なパワーを使う。それが成長や達成のための源泉を備える(エネルギーを蓄える。キャパシティーを広げる)ことになるのだ。(休止)情熱豊かな人々は健康だ。彼等は人生の豊かさと多様性をよく心得ている。しかし、具合の悪いことに多くの子供達が親から教わるのは、情熱に溢れたり意気盛んであったりするのを疑いの目で見ることだ。そして(情熱豊かなのとは)逆に、おとなしく、行儀よく、いうことを聞くようにと指図(さしず)されるわけだ。