想像力と意志
個人的セッション集 第5巻
削除されたセッション 1978/10/11
マサ 訳
こんばんは。
(「こんばんは、セス」)
コメントだ。「想像力と意志が衝突する時には常に想像力が勝つだろう(おもしろがっている様子で)(未来を示す will と「意志」を意味する will が重なるため)」と言われてきた。
この言葉をじっくり吟味してみるのもいいかもしれない。というのも、想像力と意志があらゆる点で対立しているように見えることがあったとしても、人間の自発性というものが持つ真の意味において、それらが対立することなど決してないのが「事実」だからだ。
この「命題」が如何に大それた、あるいは非現実的なものに聞こえようとも、事実として、人は出来事が特定の結果になるようにという「意志」を抱きながらそれとは正反対の結果をまざまざと思い描くようなことはない。
こうした(心理的な)活動の理(ことわり)は我々の新しい本(バッツ氏が最終稿をまとめている「『知られざる』現実界」)にもいくつか描かれている。しかし、君達がやっているのは(自分の)面子(メンツ)を保つためにパターンとして覚えた自己欺瞞であり、親から教わったふとどきな(楽しんでいる様子で)テクニックだ。だから、君達はよく、あるものが欲しいふりをするし「こうなって欲しい」と口では言うこともあるだろう。それは自分の本当に欲しいものが(周りから)認められないものであったり、不道徳だとか品位が傷つくとか、そういったことを教わってきたりしたからだ。そんなわけで人々は多くの場合、自分の本当の動機を「取り逃がして」しまう。
自分の欲しいものを知ることはとても大切だ。「自分が欲しているもの」は価値のないもの、いけないものだとしてそれを放棄したり退けたりすることもあるだろう。しかし、君達はまず自分の動機を自覚しなくてはならない。これはあまりにも単純化した話に聞こえるかもしれないが、全く実際的な意味で本当のことだ。君達の中には、富(金銭的、物質的な豊かさ)を求めているふりをしながらも、明らかに間違いなく貧しさが続くよう、できる限りのことをしている人々がいる。自分の目指すものを何度(表向きに)標榜(ひょうぼう)しようとも、彼等の想像する世界には将来の窮乏状態を鮮明に描いた光景がいくつもあるのだ。だから、そういう場合には意志と想像力が衝突しているかのように見える。(次のページへ続く)