多重人物性 - 1
多重人物性
「知られざる」現実界 第1巻
セッション 683 1974/02/18
マサ 訳
「自分」という構造は内的な自己から生じる。それは様々な興味、能力、原動力によって形成され、集中する分野が選ばれる。一人の人間が素晴らしく聡明であり、立派なスポーツマンでもあり、感情的にも精神的にも深い理解力があるとしたら、それは人類の生み出した理想のタイプであるかのように見えるかもしれない。しかし、そんな人間は滅多(めった)にいるものではない。
「知られざる」現実界 第1巻
セッション 683 1974/02/18
マサ 訳
「自分」という構造は内的な自己から生じる。それは様々な興味、能力、原動力によって形成され、集中する分野が選ばれる。一人の人間が素晴らしく聡明であり、立派なスポーツマンでもあり、感情的にも精神的にも深い理解力があるとしたら、それは人類の生み出した理想のタイプであるかのように見えるかもしれない。しかし、そんな人間は滅多(めった)にいるものではない。
できるだけ簡単に言えば、君達の実際の経験(わたしたちが体験していると思っていることの全体像)は君達が身体的に知覚するにはあまりにも広大すぎる。君達に特有の意識は、ある特定の分野内で焦点を絞った結果、生じたものだ。君達はそれを「絶対的」なものだと想像している。というのも、その意識は、君達が「自分とはこういう存在だ」と思っているものを含み、その他のあらゆるものを排除する、そんな状態を伴っているように見えるからだ。しかし、それが一つの王国であるかのごとく境界線を設定するのは君達以外の何者でもない。それ(その意識)は実際のところ、ある種の組織体だ。その組織体はそれ自体、異なる種類の意識群の一部なのだが、それでも、その組織体が侵害されることは全くない。それらには独自のフォーカス・ポイントがあるのだ。君達の肉体もそれ自体、自覚のある、意識の組織群からできている。君達はその組織群に気づかない。また、その組織群は君達のやり方とは全く異質な知覚的素材を扱う。
精神の本質。その人間的表現
セッション791 1977/01/17
マサ 訳
さて、口述だ(長い休止)。多次元的な劇場で舞台に上がっている素晴らしい俳優であるつもりになってごらん。どんな役を演じても、平凡な芝居の創造的なパワーを遙(はる)かに凌(しの)ぐ生命力を帯びるような俳優だ。
君達一人一人はそんな企てに乗り出しているところだ。そして、役に没入するあまり自分を見失っている。また、君達は一種のクリエイティブなジレンマにもはまっている。というのも、言わば、役者として自分の演じる役と自分とを混同しているからだ。あまりにも演技に説得力があるので自分でも騙(だま)されてしまうのだ。