Seth Network Japan
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心と精神

現実の変え方について

個人的現実の本質
セッション 615 1972/09/18

マサ 訳

 意識は、放っておかれれば(他からの影響がなければ)一つのまとまりとして活動する。もっとも、まとまりといっても絶えず変化しているわけだが。意識的な頭脳は(自己の)内側と外側、両方からの声に耳を傾けながら観念を形作ることができる。自己が物質的、非物質的な源泉から得た数々の知識と結びつく観念だ。そうやって観念が形作られると、いろいろな活動をしていく中で、特に努力をしなくとも自然かつ簡単に観念をチェックすることになる。しかし、一度(ひとたび)、その意識的な頭脳が、いくつもの矛盾した観念を受け入れてきたという(ことに気づいた)場合は、それらを整理するために思い切った企てが必要だ。

エクササイズ - 自分を愛する

個人的現実の本質
セッション 676

マサ 訳

 こんばんは。
 (「こんばんは、セス」)

 口述だ。自敬自愛の念があれば、君達は自分の進む道を信頼するだろう。

 自分の今いる境遇がどんなものであろうと、君達はそれを自分の歩む道の一部として受け入れるだろうし、そこからは、自分の必要とする、あらゆる創造的な要素が生まれ出てくる可能性のあることがわかるだろう。君達が自分自身であり、そっくりそのままの自分を信頼すれば、それは即、他の人々を助けることにもなるのだ。(逆に)自分自身の感情を怖れ、今、感じているのは自分が「ネガティブ」だと考えている気分だということに気づく度にうろたえているのだとしたら、そんな状態で「自分は価値のある人間だ。わたしは自分自身を信じ、そっくりそのままの自分を信頼している」などと自己暗示を繰り返したところで、そうそう役に立つものではない。

エクササイズ - 夢 - 2

 私は様々な種類の知識があると言ったが、こうしたエクササイズを通して君達は(これまでとは)違った形の知識に接することができる。ある程度の期間続ければ、新たな知覚形態の道が開け、自分の体験を複数の立場から眺められるようになるだろう。これは君達の体験自体の質が変わることを意味している。(今度は)起きている間の話だが、都合が許す場合は時々、君達が今現在体験していることは夢であり、(すべてが)極めて象徴的であるとイメージしてごらん。そうしたら、それを「夢」として解釈してみるんだ。

 ここにいる人々は誰なのか?彼等は何を象徴しているのか?この体験が夢だとしたら何を意味しているのか?そして、その夢から目覚めたとしたら、どんな生活が待っているのか?

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