Seth Network Japan
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転生

報復

セスは語る
セッション 550

マサ 訳

 (9 時 45 分)さて、君達が拠り所としている視点からでは、全ての出来事が創造性を実現するべく起こっているということに気づくのは、しばしば難しいものだ。また、本来的な意味で君達自身に備わっている自由奔放な創造性を信じることも同じように難しい。君達の(社会的な)体系において(人を)「殺す」ということは倫理上、明らかな犯罪だ。しかし、刑罰として他の人間を殺すことは、元の過ちに輪を掛けた過ちを犯すことにしかならない。1つの教派 ── 「文明」と呼ぶ方がよければ、それでもいい ── を設立した、非常に有名な人(おそらくユーモアを込めた表現)は、かつて(片方の頬を)「打たれたら、もう片方の頬を向けなさい」と言った。ただ、彼の言った元々の意味を理解するべきだ。つまり、頬を打つ者は基本的に自分自身を打っているに過ぎないということを心得ているから、もう片方の頬を向けるのだ。

出来事と記憶 - 2

 こうした他の人生の記憶が表面にまで浮かび上がってくる場合、それは当然、その表面によって色付けされるし、浮かび上がるタイミングもまちまちだ。また、それは通常の記憶ほどぴったりと君達の神経系に結び付けられていない。君達の現在に独自の「奥行き感」があるのは、君達が「過去」と理解しているものがあるからこそだ。もっとも、ある意味では、未来も、出来事に備わっている別種類の奥行きを表している。根っこというものは、あらゆる方向に伸びるものだが、出来事もそうだ。ただ、「出来事の根」は、君達の過去、現在、未来を通って伸びてゆく。

出来事と記憶 - 1

出来事と記憶

個人、そして群衆現象の本質
セッション 806 1977/07/30

マサ 訳

 こんばんは。
 (「こんばんは、セス」)
 セッションの第1部だ。

 出来事は、君達が教わってきたように、具体的な形に出来上がった「完成バージョン」として存在するわけではない。従って、記憶に関しても話は違ってくる。

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