Seth Network Japan
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自己

意識と個性 - 1

意識と個性

精神の本質。その人間的表現
セッション791 1977/01/17

マサ 訳

 さて、口述だ(長い休止)。多次元的な劇場で舞台に上がっている素晴らしい俳優であるつもりになってごらん。どんな役を演じても、平凡な芝居の創造的なパワーを遙(はる)かに凌(しの)ぐ生命力を帯びるような俳優だ。

 君達一人一人はそんな企てに乗り出しているところだ。そして、役に没入するあまり自分を見失っている。また、君達は一種のクリエイティブなジレンマにもはまっている。というのも、言わば、役者として自分の演じる役と自分とを混同しているからだ。あまりにも演技に説得力があるので自分でも騙(だま)されてしまうのだ。

あるランダムな考え

わたしたちがまた生きるのなら

マサ 訳

 動物たちの中には
 表現されない自己など
 ないようだ。
 まるで肉体の中でも
 可能なかぎり
 フルに自分自身で
 いるかのごとく、
 意識の中に
 満たされるべき
 すき間などない。
 そのかたわらでわたしたちは
 何かべつのものに
 成長しようと
 している。

蓋然的な人生 - 2

 メカニクスの発明に才のある、その創造的なパーソナリティーは(その後)ぐんぐんと他の者達を引き離し始めた。そんなわけで、君の知っている父親は(「あちら側」から見ると)その蓋然的な自己だ。もっとも、その自己は、他の自己が避けていた感情面における数々の現実に関わり合った。実際のところ、それが彼にとって唯一の目的だったのだ。

 (10 時 7 分に休止)これは、こうしたパーソナリティーが基本的に制限されていることを意味しているわけではない。また、彼が新しい興味やチャレンジを(独自に)一つ一つ見出していくことはないと言っているのでもない。彼自身は好きなように動けるからだ。彼は別の自己の特徴(才能や性格など)さえも数多く備えていたのだが、それらは、もちろん表に出てこなかった。しかし、子供をもうけることで、君の父親は情緒的な「生」を産み出すという、その目的を達成した。それはしっかりと中身があり、息子達の中に生き続けるものだ。

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