Seth Network Japan
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個人そして群衆現象の本質

理想への衝動 - 2

 君達がテレビで目にする数々の出来事は、君達の想念、観念、願望が形作る。自分達の世界を変えたいのなら、まず、君達の想念、期待、観念を変えなければならない。本書の読者全てが自分の態度を変えたとしたら、一つの法令も書き改めずとも、明日、世界はよりよくなっていることだろう。(そして)新しい法令がそれに続くだろう。

 (9時48分に長い休止)新しい法令はいつでも観念の変化に続くものだ。その逆ではない。少し待ってくれ…。文明にしろ、科学、芸術あるいは哲学といったものの体系にしろ、精神に源を発しなかったものはない。自分が同意しない観念に対して口先だけの好意を示す時、君達は自らの理想に背いている。そして、自分が理解することによる利益を自分自身と社会に対しても与えないことによって、ある程度、自分と社会をも傷つけている。人は誰でも理想家だ。私はただ、君達が日常生活における行為の中で自分の理想を実践するのを手伝いたいだけだ。

理想への衝動 - 1

理想への衝動

個人、そして群衆現象の本質
セッション 873 1979/08/15

マサ 訳

 ずっと本物の理想家であり続けたいと思うのなら、ある意味で、君達は実践する理想家であらねばならない。巨大なステップを踏み出す方がいいと思う時でも、多くは小さくて実践的なステップを踏んでいかなくてはならないのだ。君達は行動を通して自分の理想とする方向へと動かなくてはならない。さもなければ、幻滅したり、無力感を抱いたりすることになるだろう。あるいは、また、理想とはまるで正反対の徹底的な手段だけが特定の理想的な状態なり状況なりをもたらすのだと感じるようなことにもなろう。

インフルエンザの季節 - 3

こんな心的、精神的なジレンマをどうすることもできない自分に気がつくのだ。精神的な落ち込みはよく次のようなことになる。すなわち、クリスマスの音楽と商業的な陳列物(クリスマスのデコレーションやクリスマス向け商品など)によってその落ち込みがさらに強くなり、「神は自らの姿に似せて人間をつくりたもうた」という宗教的な連想によっても強まるということだ。また、そうやって(神から)与えられた身体にはどうやら自分で自分の面倒を見る能力がなく、最初から病気や災害の犠牲になるものと決まっているといった、また別の連想群によってもさらに憂鬱(ゆううつ)が深まる。

 そんなわけで、クリスマスシーズンは君達の社会における人間の希望を抱き、インフルエンザのシーズンは人間の不安を反映し、(同時に)両者の隔たりを示すことになる。

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