暗示と戦争
個人、そして群衆現象の本質
セッション 835
マサ 訳
こんばんは。
(こんばんは、セス。)
前回(第 834 回のセッションで)話したとおり、第6章だ。
(自分に対する)おまじないの言葉がある。特に、今世紀(20 世紀)になってから、大切に何度も繰り返して使われてきた暗示の言葉で、こういうものだ。「毎日、あらゆる面でわたしはどんどん良くなっている」
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個人、そして群衆現象の本質
セッション 835
マサ 訳
こんばんは。
(こんばんは、セス。)
前回(第 834 回のセッションで)話したとおり、第6章だ。
(自分に対する)おまじないの言葉がある。特に、今世紀(20 世紀)になってから、大切に何度も繰り返して使われてきた暗示の言葉で、こういうものだ。「毎日、あらゆる面でわたしはどんどん良くなっている」
その「善」とは、どれだけの損失の上に成り立つべきものなのか、また、誰にとっての善が基準となるべきなのか。人が善を追い求める行為は、宗教裁判(異端審問)やセーレムの魔女狩りが起こる一要因となった。そして、今日、政治の面で多くの人々は、ロシアが「敵国」であり、それ故、その国を破壊するためには、どんな手を使ってもよいと信じている。また、(アメリカ)合衆国内には、(いわゆる)「体制派」は中核に至るまで腐りきっているので、それを壊滅させるには、いかなる手段も正当化されると熱烈に信じている人々もいる。さらに一部の人々は、男女を問わず同性愛者とは「悪」であり、人として真の品性に欠ける(ひいては普通の敬意をもって扱われる必要はない)と信じている。こうしたことは全て、善に関する君達の観念が絡んだ価値判断だ。