Seth Network Japan
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個人そして群衆現象の本質

想像と観念 - 1

想像と観念

個人、そして群衆現象の本質
セッション 829 1978/03/22

マサ 訳

 (熱心な口調で)繰り返すが、キリストは磔(はりつけ)にはされなかった。歴史的なキリストと考えられている人物は霊的な現実界によって開眼していた一人の男だ。彼は、どんな人間であろうとも、自分が存在するという理由で、在るもの総て(すべてなるもの)と人類の接点なのだという無限の悟りに心を動かされていた。

 キリストは人間一人一人の中で神性と人間性が出会うのを見た。そして、人間が神格の中に存在するおかげで死を越えて生きていくのを見た。キリスト教の名に結び付いた惨事は全て例外なく「法の精神よりも法の字句に従う」こと、あるいは文字どおりの解釈に固執することによって起きた。その解釈の下にある精神的、構想的な概念は無視されてしまったのだ。

理想を体現する

理想を体現する

個人、そして群衆現象の本質
セッション 870、1979/08/01

マサ 訳

 (9 時 42 分)自分の環境における不幸な条件についてくよくよ考えるのではなく、どんな形であろうと、できるやり方で、自分の理想を自分の人生の中に表わすための手段を講じるのだ。それには無数のやり方がある。

 一般的には、たとえば、体調が本当に心配なら医者に行きなさい。そうでもしなければ、君達は自分自身の観念のせいで怯(おび)えきってしまうかもしれないからだ。しかし、とりたてて害はないが邪魔になるという身体コンディションであれば、そこから始めて、それを自分で解決してごらん。自分がなぜそれに悩まされているのか突き止めてみるんだ。頭痛なり単純な胃のもたれなり、あるいは、煩(わずら)わしいが深刻ではないという慢性の不調、たとえば、副鼻腔の問題(蓄のう症など)や花粉症である場合は、その状況において、身体には自分自身を治す能力が本当に備わっているのだということを思い起こしてごらん。

行動 - 2

 (9 時 40 分)単に空間的な意味での目的地に到達したいのであれば、その土地や水路の特徴を説明してくれる地図があるわけだが、目標というものが持っている心理的な役割の話となると、考慮すべき点はもっとある。

 もう一度言うが ──(おどけた言い方で)と言えば、君も、またもや「また」とか「しかし」とか、そんな言葉を書かずにすむだろう(バッツへの語りかけ)──、君達の身体は君達が動きたい時に駆動される。君達の意志と目標に応えるわけだ。心の面から見れば、それは君達のプライベートな内的環境だ。心理的な意図が心のレベルで瞬時に種々のエネルギーを(一斉に)動員する。君達には(肉体とは別に)一つの「身体」がある。ここでは、それを「想念の身体」とでも呼ぼう。絶え間なく、君達自身の意志をすぐさま行動に移すのが、その「身体」だ。

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