Seth Network Japan
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精神の本質

愛とその周辺 - 1

愛とその周辺

精神の本質。その人間的表現
セッション 774

マサ 訳

 性行為を悪いことだとか、おぞましいとか、低俗なものだとか表立って言ったり、隠そうとしたり、何よりもまず「獣染(けだものじ)みた」ことであるかのようなふりをしたりする時、君達は性行為のことで頭がいっぱいだ。また、性行為の長所を市場の売り文句のように大袈裟(おおげさ)に掲げる場合も、やっぱり、君達は性行為に憑(と)り付かれている。性行為の表現に関して窮屈(きゅうくつ)で非現実的な禁則を設けたり、実際の行為に対して、これも非現実的な規範を定め、その規範に従うことを普通の人に求めたりする場合も、君達は頭から性行為が離れないのだ。

 それから、例えば、異性と知り合っても相手とベッドを共にするまでに至らなければ不自然だと感じてしまう若者達がいるのは、お仕着せの無節操から来ているが、そうした節操のなさは「性的な自由」のうちに入らない。

意識のチューニング

精神の本質。その人間的表現
セッション 758 1975/10/06

マサ 訳

 こんばんは。
(「こんばんは、セス」)
(ユーモアを込めて、ささやき声で)口述だ。

 また喩(たと)えを使った話になるが、脳には数え切れないくらい多くの「周波数」で動作する能力がある。その周波数のひとつひとつが、脳の持ち主に対して現実界を描いた世界像を示し、特定のやり方で身体の諸感覚を利用する。各周波数が、利用できるデータを特殊化された独自のやり方で構成し、どこかしら違った形で心の内容や身体自体と関わり合うのだ。

 一般的に言えば、君達は覚醒時の生活でひとつの決まった周波数を使っている。だから、自分が認識している以外の現実界など存在しないかのように思われたり、自分がふだん馴染んでいる以上のデータなど利用できないかのように感じられたりするわけだ。

夢の中のドラマ

精神の本質。その人間的表現
セッション 756

マサ 訳

 ルバートとジョーゼフは夕食のとき、よく(おどけた言い方で)昔の「スタートレック」(邦題「宇宙大作戦」)の再放送を観る。リビングルームのカウチに、なかなか居心地よくすわり、コーヒーテーブルの上に食事を置いて、君達の社会では、どこにでもある、ほのぼのとした、家庭的な日用品に囲まれた中でだ。

 こうしてゆったりと腰を落ち着けた状態で(前に身をかがめて微笑みながら)二人が観るドラマはと言えば、惑星が爆発したり、別世界の知的生命達が、善良な宇宙船エンタープライズの果敢なキャプテンや怖れを知らぬスポック達に、立ち向かってこようとしたり、助けの手を差し伸べようとしたりするものだ。しかし、こうした話のどれ一つとして、我々の友達、ルバートとジョーゼフを脅(おびや)かすようなことはない。彼らは自分達のコーヒーを飲んでデザートを食べている。

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