Seth Network Japan
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エルマイラへの道

第1章 すべての道はローマに通じない

 1969 年、僕は 19 歳だった。この国(アメリカ合衆国)の群衆意識(社会的な雰囲気)はブクブクと泡立ち始めていて、その泡がそのままポンと弾(はじ)けてしまうこともあった。ベトナム戦争の真っ最中であり、1969 年 11 月には約 25 万人の人々がワシントン DC で反戦の(デモ)行進をした。この国は、その戦争によって分断され、敵対し合う派閥へと化してしまっていた。

 同じ年、「3日間の平和と音楽」と銘打たれたウッドストックウィキペディアを参照)には 50 万人近い人々が集まり、その中に僕もいた。「音楽」の方は確かにたっぷりとあったが「平和」の方はと言えば、お粗末なものだった。その年、映画「イージーライダー」がワイドスクリーンで公開され、ピーター・フォンダとデニス・ホッパーが真のアメリカを求めてバイクで水平方向に旅をした。ニール・アームストロングは垂直方向の進路をとり、月面を歩いた最初の人間になった。70年代に手が届こうとするころには、60 年代のイデオロギーがクライマックスに達していた。それから数年もすると、かつてのヒッピーたちは、きれいに髪を刈り上げ、きちんとプレスされたスーツにネクタイという出で立ちで、今日の弁護士や医師やウォールストリートのブローカーになっていくのだった。

 この移り変わりが比較的、簡単にできた者たちもいたが、そうでない連中は苦闘することになった。僕の場合、定職を探し、一つところに落ち着き、金を稼ぐことに神経を注ぐといったことを考えると、そうしたゴールはすべて、自分の中にまだ生きているヒッピー精神にとって「破門」を意味した(そうした目的を追い求めること自体、もうヒッピーではないということ)。だから、僕は自分がとってきた反体制文化のスタンスをそのまま続け、結果として、どんどんアウトサイダーになっていった。今にも消えようとしている世界と新しい世界との間で宙ぶらりんの状態だ。その新しい世界の一員に自分がなりたいのかどうかも定かではなかった。

 60 年代が終わりを告げるころ、僕の周りは不確かなことばかりだった。確かだと感じたのは一つだけ。人生をさらに進めていく前に、自分には、いくつかの答えが必要だということだった。簡単で基本的な、いくつかの問いに対する答えだ。たとえば、自分はなぜ、ここにいるのか。神はいるのか。死んだらどうなるのか。前世はあるのか。宇宙には自分たち以外(の知的生物)はいないのか。出来事はすべて、あらかじめ決まっているのか。この世には、どうしてこんなにも苦難が多いのか。繰り返しになるが、こうした若干の簡単で基本的な質問だ。