答えを求めて薬物を結構、試してみたものの、そうした、意識レベルが高くなったかに見える状態で得られた洞察は、夜が明けて効き目が薄れてくるとドロドロになってしまうという、始末に負えないものだった。(そんなわけで)結局、薬物を使うのは、知を求めるためではなく、痛みを紛らわすためになった。それは燃えたぎる河のように自分の中を流れる痛みだ。困惑から、怖れから生じる痛みであり、誰も答えてくれず、おそらく答えることは不可能な問いが延々と続き、脳の中で爆発し続けていることから来る痛みだった。
しかし、こうした耽溺(たんでき)は、せいぜい一時の気晴らししか、もたらさなかった。そんな束(つか)の間の平和は確かに心地よかったが、結局のところ、薬物を使うことは答えにならないし、それ以上に、新たな問題を山ほど産み出すことになる。そんな問題は絶対に御免被りたいものだった。また、組織化された宗教に頼るという選択も、まず考えられなかった。ずっと昔、彼らの与えてくれる説明を拒絶したのは僕自身だったからだ。ひょっとしたら(月にでも行って)月面をさっそうと活発に歩きでもすれば、多少の洞察が得られるのかもしれないが、この時点で宇宙飛行士としての訓練をするには、あまりにも遅すぎた。答えを見つける必要性は、僕にとって、ただの「大事な問題」を超えて「絶対的な課題」になっていった。
ちょうど、このころ、やはりスピリチュアルなことに興味のある友人の一人が、新聞の広告を見て、そういった形而上学的な講習会に参加し始めたと言った。秘教的な知識にかけては大家(たいか)とされるフランソワという人物が教えているという。その人は神々しか知らない秘密にも通じているのだそうだ。(もちろん、そのフランソワの話によればということだが)彼の下で学び、疑うことなく彼の指示に従えば、到達する者のほとんどいない、悟りの境地に達することも夢ではないとのことだった。
フランソワのいる悟りのレベルには誰も到達できないと考えられていたが、この人生の急場においては、光が見えれば、それがどんな光だろうが、ありがたかった。ある島に流れ着き、独りぼっちで、にっちもさっちも行かない時に一隻の船が近づいてきたとしたら、その船がどんな旗を掲げているかは問題ではない。一瞬の躊躇(ちゅうちょ)もなく、ただ、その船に跳び乗るのだ。そんなわけで、期待を胸に、僕はフランソワに会うべく出かけた。ひょっとしたら、僕が闇から抜け出られるよう導いてくれるかもしれないと思った。