フランソワは、この求めに応じた。ずっとあとになって、このころ、彼はすでに何度もジェーン・ロバーツに電話でコンタクトをとっていたという事実が判明したのだが、彼自身が僕たちの前でそれを口にするようなことは一切なかった。もう一つ、ずいぶん経ってからわかった事実は、フランソワがジェーン・ロバーツにいい迷惑をかけていたということだ。彼はロバーツのところへ訪ねて行きたがっていたのだが、ロバーツの方はそんな話に耳を貸そうとはしなかったという。彼女の眼には、フランソワは自分と同類の存在ではなく(単なる)自己欺瞞の塊(かたまり)にしか映らなかったのだ。そのうえ、彼の掲げる秘教的知識の看板は、ジェーンが教えていることに真っ向から対立する概念で満たされていた。
そんなわけで、僕たちがその本(セス資料)を読むことは認めたものの、フランソワは、わざわざ、僕たちに、ロバーツ女史はスピリチュアルな意味では大して発達しておらず、まともに相手にする価値はないと教えた。もっとも、彼がご立派にも告げたところによると、(ロバーツと較べて)セスは、フランソワ自身の到達した形而上学的な専門レベルに、より合っているとのことだった。
初めてセス資料を手にしたのは、1970 年のいつだったかわからない。わかっているのは、第1ページから(僕の中の)「ベル」が鳴り始めたということだ。そのベルの音は読み進むほど大きくなっていった。まるで、何世紀も眠っていた僕の一部が目を覚ましたかのような感じがした。ジェーン・ロバーツが書き描いている、そのクラス(講習会、ワークショップ)に行ってみたかった。セスが話しているのを自分の耳で聞き、この目で見てみたかった。
同時に、僕の関心はまだフランソワと彼の教義に向いていたのだが、1971年の夏、決心してジェーンに手紙を書いた。彼女の開くクラスにいつか参加させてもらえるか尋ねてみたのだ。すると、ジェーンから返事が来た。もし近くに来るようなことがあれば、夜のクラスに参加するのは構わないが、前もって知らせて欲しい、とのことだった。僕には申し分のない話だと思った。早速、フランソワに、自分が手紙を書いたことと、それに対するジェーンからの返事の話をした。ジェーンのクラスに参加してもいいかと尋ねたところ、彼の答えは「イエス」だった。