Seth Network Japan
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 ジェーンがトランス状態から抜け出た後、彼女と他の何人かのメンバーが告げたところでは、スマリ語の歌を聴いている間、裁判の光景が浮かんできたとのことだった。僕が裁判官で、フレッドがある種の姦通罪に問われていたというのだ。裁判官である僕はフレッドの悪事に対して、容赦なく、相当、厳しい判決を下し、その結果、彼は世間から見放された者として暮らす羽目になったという。

 スマリの歌では、この人生や他の人生における過去の出来事を思い起こさせるのが一つの目的だと学んだのは、もっとあとになってからのことだった。また(この時)ジェーンにも他のメンバーたちにもわかったのは、フレッドの友達で、この晩クラスに参加していたピートと、僕の友達のジェフリーが、その裁判で証人だったということだ。定期的にクラスに参加している地元エルマイラの住民の一人で、その晩も出席していたビーは、その裁判で記録係を務めていたようだった。そこまでわかったところで、僕はやっと、クラスが始まったときから実際、自分がフレッドに対して怒りを感じていたこと、そして、それを(他の参加者の前で)指摘されたときは単に「防御的」な姿勢になってしまったのだということを(自分でも)認められるようになった。ジェーンは、ただ(一言)、わたしたちは誰でも時々、自分が感じていることを認めまいとすることがあるもので(僕のとった態度は)大きな問題ではないと言った。

 その晩、クラスが終わったのは 11 時ころで、その時には、かなり疲れていたはずなのに、その日の朝早く起きた時よりも頭が冴えていた。ジェーンのリビングルームにいた、この数時間は、まるで飛行機から外国に降り立ったかのようで、僕の頭のアンテナは、まだブンブンとうなっていた。

 (クラスに参加していたジェフリーを乗せて)ニューヨーク市に帰る車の中で、ジェフリーは、僕がジェーンの前に立って一緒にスマリ語で歌い出した時には、どれほど驚いたことかと話してきた。

 スマリ語で歌ったって?正直、全く記憶になかった。もっとも、この時は、ジェフリーが「(部屋にあった)カウチ(ソファー)が宙に浮いて部屋の中を回り出したんだ」などと仮に言ったとしても疑わなかったのではないかと思う。

 夜も、この時間になると、ルート 17 を走っている車はほとんどない。それでも、トラックたちはいい道連れで、お互いにヘッドライトで鬼ごっこをした。追い越して、追い越されたかと思うと、また追い抜いて、という具合だ。ハイウェイの食堂は道路に棲む不思議な生き物のように、ぼんやりと照らされた頭をもたげ、(僕たちが通りかかって)しばしの間、息を吹き返したかと思うと、また元のまどろむような状態に沈んでいった。

 ニューヨーク州ワーツボロを通り過ぎる時、サマーキャンプにいたころの 12 歳の自分に思いを馳(は)せた。スポーツや水泳をし、思いつくかぎりのいろんないたずらをした長い1日が終わり、(この時刻には)満足そうに眠っている様子が目に浮かんだ。将来、自分がどんな旅に出ることになるのか僕が教えてあげたとしたら、彼(12 歳の自分)はどんな反応を示すことだろう。(ともかく今は)そっとしておいてあげることにした。