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パーソナリティー

蓋然的な人生 - 2

 メカニクスの発明に才のある、その創造的なパーソナリティーは(その後)ぐんぐんと他の者達を引き離し始めた。そんなわけで、君の知っている父親は(「あちら側」から見ると)その蓋然的な自己だ。もっとも、その自己は、他の自己が避けていた感情面における数々の現実に関わり合った。実際のところ、それが彼にとって唯一の目的だったのだ。

 (10 時 7 分に休止)これは、こうしたパーソナリティーが基本的に制限されていることを意味しているわけではない。また、彼が新しい興味やチャレンジを(独自に)一つ一つ見出していくことはないと言っているのでもない。彼自身は好きなように動けるからだ。彼は別の自己の特徴(才能や性格など)さえも数多く備えていたのだが、それらは、もちろん表に出てこなかった。しかし、子供をもうけることで、君の父親は情緒的な「生」を産み出すという、その目的を達成した。それはしっかりと中身があり、息子達の中に生き続けるものだ。

自己本体のイメージ

個人的現実の本質
セッション 637 1973/01/31

マサ 訳

 君達が「自分」と捉えている自己が消滅することは決してない。ロウソクの火のように消えてしまうことも、至福に満ちて「自分」がわからなくなり、「涅槃(ねはん)」などに飲み込まれてしまうこともないのだ。(涅槃という点で言うなら)君達は今でも立派に涅槃の一部だし、これからもそうだ。

 君達の身体と、その身体を構成している細胞については、ある程度、話をした(たとえば、第7章のセッション 632 など)。今、君達の肉体的な姿を形作っている細胞達が全て同時に存在しているのは明らかだろう。(ここで)それと同じように、自分には、数多くの人生が(同時に)進行していると想像してごらん。すると、君達には、細胞達の代わりに数々の「自己達」があることになる。私は、細胞の一つ一つに独自の記憶があるという話をしたが、自己に備わった記憶となれば、もちろん、それよりも次元が遥かに大きくなる。

自己本体と複数の自己

「知られざる」現実界 第1巻
セッション 692

マサ 訳

 こんばんは。
 (「こんばんは、セス」)

 さて、君達の夢に関する話から始めよう。自己本体(エンティティー)には自分のパーソナリティー達の経験がわかっている。少し待ってくれ…。

 君達流に言えば、その自己本体にとって君達の意識は一筋の流れ(いくつもの流れがあるうちのひとつ)に喩(たと)えることができる。そして、君達自身の個性のさらに大きな、その部分(自己本体)は、君達の生きている意識的、無意識的な情報の一切を完全に把握している。また、それは(自身と君達の)全ての部分からやってくる同じ種類のデータも認識している。

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