Seth Network Japan
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パーソナリティー

自分とは?

あるアメリカ人哲学者の死後日誌 ── ウィリアム・ジェームズの世界観(セスによる序文)
セッション 775

マサ 訳

 こんばんは。
 (「こんばんは、セス」)

 ルバートは自分という独自の存在を立証できる。普通の意味で言えば、彼は自分という存在が始まったのは自分の生まれた1929年で、そこからずっと現在に至っているとみなす。その意味で彼には時間的な歴史があり、それを証明する(それぞれの時期の)手紙や思い出の品々やスナップ写真などがあるわけだ。

 彼が君(バッツ)に会ったのは時間と空間の中にある特定のポイントであり、君達二人の自己性は(そのときから今まで)継続している。この二点は君達二人共、認めることだ。よって、ルバートは自分という存在を証明できることになる。

死後の活動 - 2

 パーソナリティーによっては、この種の活動に走りやすい。また、本人がこうした行動の本質を理解するまで2、3人のパーソナリティーがその試みにパートナーとして加わることもある。そうなると状況はますます解決しにくくなってしまう。ここではすでに取り組んだ一時期(の要素)をただ整えたり並べ替えたりしているだけなのだ。

 これは一枚の絵画を完成させた画家が次の作品に進まず、同じ作品のバリエーションを延々と描き続けているようなものだ。本人は自分が何をしているのか理解できていない。これは界層面の間での生存形態であり、伝承で「煉獄(れんごく)」、「浄罪界(じょうざいかい)」などと呼ばれるものだ。

柔軟性

初期セッション集 第2巻
セッション 83 1964/08/31

マサ 訳

 君達には、非定例のセッションで私が提案したことに従おうという決意がない(セッション 82 で、セスは自分の本が西側諸国、ひいては世界中に広がっていくであろうことを告げ、当時、画廊で働いていたロバーツに対しては、午前中に自分自身の仕事をし、午後は画廊に行くのではなくセスの本の作業に充てることなどを提案した)。また、ルバートは画廊での肩書きが変わった。そうしたことに対していちいちコメントする気はないが、後者に対しては祝いの言葉があって然るべきだろう。だから、お祝いを言おう。

 (セスが言っているのは、ジェーンが画廊でアシスタント・ディレクターになったことだ。彼女はとても喜んでいた。職務が少し変わり、その中には子供向けの講座で美術史を教えることも含まれていた。ジェーンは人にものを教えるのが好きだ。何セッションも前にセスが言っていたのだが、これは前世から持ち越した能力で、この人生ではこれまで使われていなかったのだそうだ)

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