Seth Network Japan
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価値観と観念

観念のリセット - 1

観念のリセット

健康への道
セッション 1984/06/01

マサ 訳

 さて、君達にまた新たな素晴らしい午後を…
 (「こんにちは、セス」)
 …では口述を再開しよう。

 (長い休止)夥(おびただ)しい数の人々が実際のところ、不満足な人生を送っている。その多くは殆ど到達不可能な目標を目指している。到達不可能というのは、(自分の中に)相反する観念が寄せ集まっていて、その全てが本人の気を惹こうとして競い合うからだ。その人々は自分自身と意図が噛み合わなくなってしまうわけだ。

インフルエンザの季節 - 3

こんな心的、精神的なジレンマをどうすることもできない自分に気がつくのだ。精神的な落ち込みはよく次のようなことになる。すなわち、クリスマスの音楽と商業的な陳列物(クリスマスのデコレーションやクリスマス向け商品など)によってその落ち込みがさらに強くなり、「神は自らの姿に似せて人間をつくりたもうた」という宗教的な連想によっても強まるということだ。また、そうやって(神から)与えられた身体にはどうやら自分で自分の面倒を見る能力がなく、最初から病気や災害の犠牲になるものと決まっているといった、また別の連想群によってもさらに憂鬱(ゆううつ)が深まる。

 そんなわけで、クリスマスシーズンは君達の社会における人間の希望を抱き、インフルエンザのシーズンは人間の不安を反映し、(同時に)両者の隔たりを示すことになる。

インフルエンザの季節 - 2

 (風邪や)インフルエンザに立ち向かうための錠剤、飲み薬、注射薬は目立つ場所に陳列される(注射薬も?)。それは、苦難の時期がやってくるのだと、(前述の)広報を聞き逃した人々にも気づかせる役目を果たす。(そこへ)テレビのコマーシャルが新たな集中砲火を浴びせる。だから(愉快そうに)花粉症の季節からインフルエンザの季節まで途切れることなく自分の薬を摂り続けていけるわけだ(痛烈な皮肉)

 6 月なら咳(せき)をしても笑ってすぐに忘れてしまうかもしれない。しかし、それがインフルエンザの季節になると咳一つでも遙(はる)かに疑わしくなる。そして、そういった状況の下で、今週はどうも調子がさえないなどという場合などはとりわけ、こんな風に考えることもあるだろう:「明日は外出しないでうちにいた方がいいんじゃないかな?」

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