Seth Network Japan
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 (風邪や)インフルエンザに立ち向かうための錠剤、飲み薬、注射薬は目立つ場所に陳列される(注射薬も?)。それは、苦難の時期がやってくるのだと、(前述の)広報を聞き逃した人々にも気づかせる役目を果たす。(そこへ)テレビのコマーシャルが新たな集中砲火を浴びせる。だから(愉快そうに)花粉症の季節からインフルエンザの季節まで途切れることなく自分の薬を摂り続けていけるわけだ(痛烈な皮肉)

 6 月なら咳(せき)をしても笑ってすぐに忘れてしまうかもしれない。しかし、それがインフルエンザの季節になると咳一つでも遙(はる)かに疑わしくなる。そして、そういった状況の下で、今週はどうも調子がさえないなどという場合などはとりわけ、こんな風に考えることもあるだろう:「明日は外出しないでうちにいた方がいいんじゃないかな?」

 こうなるともうすっかりインフルエンザにかかると決まっているようなものだ。これは何種類もの問題に向かい合わないための言い訳として重宝することになる。多くの人々は自分のしていること(自分からインフルエンザにかかろうとしていること)を殆ど意識的に自覚している。彼等はただ、社会からそれだけ湯水のごとく与えられている暗示群に目を向けさえすればいいのだ。すると、体温は実際に上がってくる。心配すると喉(のど)が乾いてくる。そして、潜伏している ―― たった今まで何の害もなかった ―― ウイルスが実際に活性化されるわけだ。

 (10 時 10 分)コート、手袋、ブーツのメーカーも自分達の製品を売り込もうとする。ただ、これらのカテゴリーはもっとまともだ。というのも、彼等の広告は、楽しくスキーをする人、冬の森を抜けてハイキングする人を描くなど、健全な活動を強調することがよくあるからだ。しかし、時には、彼等の製品なら君達をインフルエンザや風邪から守ってくれる、また、君達の本質的な傷つきやすさから保護してくれる、などと示唆することもある。

 予防接種自体、全般的に言って、ためになることは殆どない。とりわけ、実際にはまだ生じていない伝染病を予防するために行われた場合、潜在的に危険をもたらす可能性がある。特定の価値がある場合もあるかもしれないが、全体として見れば予防接種は有害だ。身体のメカニズムは混乱するし、本来なら当分、現れることはなかったであろう他の生物学的な数々の反応が引き起こされることになるからだ。

 インフルエンザの季節はもちろん、クリスマスシーズンと重なる。クリスチャン達は陽気であれと告げられ、仲間達には、少なくとも想いの中では、子供時代の自然な不思議(の世界)への幸せな里帰りを願う。神に敬意を払うように(とも彼らは告げられる)。しかし、キリスト教は密着性が大きく失われ、もつれたお粗末な物語に成り果ててしまった。こういった宗教は日常生活から隔絶したものになる。多くの人は自分の観念と気持ちの様々な分野を一つにまとめることができずにいる。彼等はクリスマスの時、自分の科学的な観念と宗教的な観念の間に途轍(とてつ)もなく大きな隔たりがあることを部分的に認識する。(次のページへ続く)