テレビ局で
セス、夢、そして意識の投射(ロバーツの序文)
マサ 訳
わたしはテレビカメラの照明からくる熱を顔に感じました。夫のロブとわたしはインタビュー役のソーニャ・カールソン、ジャック・コールと席についていました。ボストンにあるテレビ局 WBZ の番組「今日の女性ショー(Today's Woman Show)」です。午前10時。それはわたしの本「セス資料(The Seth Material)」のプロモーションを行う初めてのツアーの最終日で、わたしたちがテレビに出た5つめの番組でした。わたしは、しゃんとしている落ち着いた人間に見えるよう努めたものの、こんなに早い時間に見ず知らずの人たちと対面するというだけでも一苦労です。ましてや(テレビカメラを通して)世間一般の人たちに向かって話をするのは、まだまだ、きびしいと実感していました。それも、自分の心霊的な体験や「セス資料」の哲学的な概念などを説明することを期待されているとなれば、なおさらです。
インタビューが始まると、ジャック・コールは目に見えない聴衆に向かって、わたしが「セス」というパーソナリティーの言葉を語る霊媒であると告げました。そして彼が強調したのは、わたしが出演したからといって、必ずしも自分やソーニャはセスという独立した存在がいるのだと認めたわけではないということです。わたしは、ほほ笑んだものの、いくぶん残念だという表情を浮かべました。多くの人たちは(こうしたことに対して)懐疑的な姿勢を表明する義務があるかのように感じています。まるで自動的に、体面を保ったり知的な優位性を示したりするバッジを見せようとするかのようです。(もっとも)わたし自身も以前は同じことをしていたので、その態度は理解できました。
ジャックはインタビューのなかで、セスが(インタビューに)出てくるだろうかとわたしに尋ねてきたので、それはセス次第だと答えました。(ただ)実際には、それまで出演したほかの番組でわたしがトランス状態に入ることはなかったので、そのときもきっと同じだろうと考えていました。ジャックは(セスが出てこないので)代わりにセス・セッションのテープを再生し始めたのですが、その響き渡るようなセスの声を聞いたとき、わたしは彼がいるのを感じました。
一瞬、ドキッとしました。頭のなかは疑念と不信感でいっぱいです。このツアーが始まってから定例のセス・セッションは開いていません(しばらくぶりなのでうまくいくかどうかわからないという意味)。照明が邪魔になったら?トランスの深さが中途半端だったら?どんなことにしろ、何かをひけらかそうとするような事態になってしまうのも恐ろしいことでした。自分たちのリビングルームというプライベートな状況で定例のセス・セッションを開くのと、テレビでトランス状態に入るのとは全くべつの話です。「ああ、セス」と頭の中で言いながら、足がすくむ思いでした。(次のページへ続く)