私はウイルス達が突然変異を起こすと(プライベートのセッション 836 で)言った。そうした突然変異はよくあることだ。こういう危険な疾病に対する接種(予防接種の妥当性)を信じるのは誠にもって科学的であるように見える。そして確かに、接種は科学的に、その役目を果たしているように見える。例えば、今現在、君達の時代には天然痘で悩む人々はいない。(だが、その一方で)病気は悪霊の仕業だと信じる文化もあった。祈祷師が特定の儀式を行うことで身体に取り付いた悪霊を追い払おうとするわけだが、それはそれで役目を果たしていたのだ。その観念体系は堅固であり、人々もそれを受け入れていたからこそ、そうした社会が「文明的な物の見方」に遭遇するまで、その枠組みが揺らぐことはなかった。
しかし、君達がここで、その悪霊を「否定的な観念」と呼んだとしたら、大きく前進したことになる。病で命を落とす人は後を絶たない。接種を含めて、君達の科学的な方法の多くは、それ自体が新しい疾病を「引き起こす」のだ。ある患者が自らの否定的な観念の生み出した結果として(最終的には)癌で死亡するのであれば、その患者に天然痘や小児麻痺の接種をしたところで何の役にも立たない。
(9 時 55 分)少し待ってくれ…。私がウイルスについて言ったことは生物学的に全ての生物に当てはまる。ウイルス達は「かなり賢い」── これは、彼等が刺激に対して素早く反応するという意味でだ。彼等は感情の状態に感応する。彼等は群れとして活動する。彼等の寿命には途轍(とてつ)もない幅がある。何世紀にも亘(わた)ってじっとしていた後に蘇(よみがえ)るものもあるのだ。彼等には広大な記憶のパターンがいくつもある。それらは生物学的に刻み込まれるのだ。秒単位の時間で数万倍にまで増殖できるものもある。彼等は多くの意味で生物学的な生命の基盤なのだが、君達は彼等が「殺し屋」としての顔を覗(のぞ)かせた時しか気づかないのだ。
君達は自分の身体の中にいるウイルスの大群が、その身体を始終、守ってくれていることに気づいていない。宿主(人間)とウイルスは互いに相手を必要とし、ライフサイクル(生活環)の一部を共有しているのだ。