また、ロブとわたしは、傍(はた)から見たら、きっと奇妙だと思われる活動を家庭での生活スケジュールに組み込んでいます。(それは次のようなものです)週に一度か二度、わたしたちは「席に着き」ます。ロブはカウチに、わたしは椅子にすわり、二人の間にはコーヒーテーブルがあります。そして(彼が)ノートを何冊か、わたしがタバコとグラス一杯のビールを用意したところで、わたしが「セスに変身」するのです。わたしはセスを自分の「トランス・パーソナリティー」と呼ぶのですが、考えてみたら、彼もわたしのことを同じように呼べるかもしれないことに気がつきました。ともかく、わたしがトランス状態に入っている間、セスは彼自身の本をロブに向かって口述します。それはもう、おもしろそうに声を揺らしながら、非の打ちどころのない散文で話すのです。しかも、そうして産み出される口述資料の量といったら、わたしたちがそれについていくのがやっとなくらいです。
セスが3冊目の自著「『知られざる』現実界」を口述しているころ、わたしは、すでに他界した有名人の言葉を自分が語るという構想と向き合うことになりました。椅子にかけ、定例のセッションが始まるのを待っていた時、びっくりするようなことが起こったのです。あまり気持ちのいいものではありません。頭の中に突然、小さな本が見えました。宙に浮いた状態で真ん中あたりから開いています。困ったことに、わたしには、なぜか、それが今はなき心理学者ウィリアム・ジェームズの書いたものであることがわかっていました。
(それをロブに伝えたのですが)ロブもわたしも、とまどってしまいました。霊媒(チャネラー)をしている他の人たちは、亡くなった著名な人物とコンタクトがあるとよく言いますが、わたしはそういった方面のことは避けてきました。それは、わたし自身の中で、あまりにも多くの疑問を感じたからであり、また、単にそうしたことに対応する準備がわたしにできていなかったからでもあります。
それにしても、その本の文面は驚くほど、はっきりと見えました。そこで、今、起こっていることをロブに話したうえで、わたしは(チャネラーとしてではなく)自分自身の声でその本を読み始め、ロブはそれを書きとめたのでした。その文章(内容)自体はすばらしいもので、わたしがそのころ執筆中だった著書「心の中の政治」に全文を載せてあります。また、そのすぐあと、ジェームズに続く形で別の文章が出てきたのですが、それも同書に収めました。そちらはカール・ユングと思われる人物のものです。ユングもセザンヌと同じく、すでに亡くなっており、自分を弁護できない立場にありました(たとえば「これはユングの文章だ」と言われ、それが事実でなかったとしても反論できないということか)。ロブは眉をひそめながらも口述内容を書きとめ続けます。ユングの場合、本は見えず、ただ、言葉がどんどん出てきました。