Seth Network Japan
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バッツ夫妻の目指したこと

個人的セッション集 第6巻
削除されたセッション 1981/07/20

マサ 訳

 さて、君達(バッツ夫妻)が今夜、尋ねたいと思っていることに答えるつもりだが、その前にまず、君達自身がセッションの直前に得た洞察、それもごく中立的な目で捉えた洞察について少し全般的なコメントをしようと思う。

 我々がセッションを開くようになる前でも、君達二人には概して自分達が他の人々とはかなり違うということがわかっていた。創造的な意味でも知的にも極めて才能に恵まれている。他の人々ほど「身動きがとれない」わけではないだろうと君達は感じていたし、ある部分で(他の人々ほど)普通の物質的な体験に踏み込んでいないとも感じていた。また、時々、自分達が人生を密(ひそ)やかに見張っていたいspy uponと考えているような気もした。人生を直接生きるのではなく(ただ)観察しようということだ。(もっとも)これは君達が人生を怖れていたからではない(僕は若いころ、自分が人生を怖がっているのかと思うことがよくあった)。君達の目的と意図が(他の人々とは)違うためだ。

 結婚して子供達と暮らす生活という普通の枠組みは今回(の人生で)君達の体験には属さないものとされた。そして二人共、子供がいない、または子供を望むパートナーがいないことを了解しようと苦労した。ある種の(子供をもうけるための)明白な知識を利用するのがごく自然かつ自明であるように見えることに対して、君達は二人共、ある程度、罪悪感を抱いていた。その類の(観念的な)範囲(限界)はそのまま肉体的な形に置き換えられ、身体的な属性(特徴)やスポーツ的な技能として君(バッツ)が体験することになった。それよりも程度は軽いが、ルバートは自分の敏捷性(びんしょうせい)やダンサーとしての能力などから、身体的な達成によってさえ、多くの人には味わえない安心感を得られる気がしていた。しかし、君達は他の人々とあまりうまくつきあえていないように感じた。また、年をとるにつれて、変化というものは全て(他人ではなく)自分から生じなければならないように思われた。

 (9 時 30 分に長い休止)ルバートは、他の人々を蔑視(べっし)することさえ、ごく簡単なのではないだろうかと感じていた。これもある程度だが、君達は二人共、自分に備わっている類の創造性など世間の人々には理解できないだろうと感じていた。みんな、すぐに妬(ねた)んだり、自分達の才能に強い不快感を示したりするのではないか、ということだ。しかし、二人共、他の人々に対して誠実で深い思いやりを抱いていた。スポーツの試合で勝ったときでさえ、敗者に対して気の毒だと感じるほどだった。

 (非常にゆっくりと)(バッツ)はスポーツで見られるような「ハンディキャップ」を採用できないものか(自分に課せないか)としばらくの間、考えていた。その(ハンディを負った)役を演じるとしたらどんな具合なのかと試してみたものの、結局、ハンディ(ウォーターストリートに住んでいたころに抱えていた背骨の障害など)は受け入れられないという結論に達した。

 その代わりにルバートが、その(ハンディを負うという)発想を引き継ぎ、あれこれと思いを巡(めぐ)らせた。セッションを開くようになると、君達二人共、あまりにも簡単に資料(情報)を「受信」できることに愕然(がくぜん)とした。また、その質の高さに感銘を受け、そこから来るチャレンジも、あるレベルで了解していた。ルバートは驚いたが、自らの自由自在な活動性やわたしの創造性を知るにつれて、その驚きはさらに増した。(長い休止)そこでは人生についての深い疑問、人類の状況に関する差し迫った問題が出てきたが、君達はそうした事柄に拘(かか)わった経験など殆どないと感じた。それは君達にとって第一の目標は人生を吟味することであり、距離を置いたところから人生を研究することだったからだ。それ故、君達は二人共、他の人々の生活を左右する関心事の中には自分達にとって気になるようなことは殆どないと感じていた。