Seth Network Japan
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カウンターパートと意識の家族

「知られざる」現実界 第2巻
セッション 732 1975/01/22

マサ 訳

 さて、(これからの話では)ここでルバートの(ESP)クラスに参加しているグループを一つの例として挙げる。しかし、繰り返すが、これはどんなグループにも当てはまることだ。

 スマリ(の人間)は一筋縄ではいかない。ある意味、反権威的であり、エネルギーに満ちている。彼等は普通、「一匹狼」であり、いかなる種類の体制にも背を向ける。もっとも、「生まれながらの改革者」というわけではない。彼等は自分と同じことをみんなが信じるべきだと言い張ることはないが、自分自身の観念を信じる権利は固持する(自分の考えを他人に押しつけはしないが、他人の考えを押しつけられるのは拒否する)。その点で言えば彼等は頑固であり、強制されるのを悉(ことごと)く避けようとする。

 このクラスでいえば、エンマ(ハリストン)(クラス参加者の名前)とジャック(ピアス)は「カウンターパート」(対応人物)だ。(僕(バッツ)に向かって)君とジャックもカウンターパートだが、君とエンマは違う(対応していない)

 (休止)アール(ウィリアムス)とサム(ギャレット)はカウンターパートだ。読者諸氏にしてみれば、こういった名前には何の意味もないが、それぞれのケースで挙げた関係は数々の内的な現実化とつながりを示している。それと同じ現実が、君達の人生一つ一つに現れるのだ。ウィル・ペトロスキーとベン(フェイン)はカウンターパートだ。ウィル(ちなみに彼はセッション 729 にも居合わせた)は非常に頭の切れる青年で、それを誇りにしてもいるのだが、自分は他の男達から認められた男なのだということを示すために相当な労力を費やしている。その一方で、ベン・フェインは自分の直観をすっかり信頼し、直観を頼りにしているものの、自分自身の大きなエネルギーをやや怖れている。多くの点で彼は子供であり、完全に自然発露の行動をとる(あれこれ考えたり人目を気にしたりせず、そのときどきで自由に自分のしたいことをする)

 ウィルは自然発露の行動をとることを夢見ている。もっとも、このオープンな(クラスの)グループにおいてさえ、ベンの天真爛漫な振る舞いによって「大人達」は困惑している。彼等は「自然発露の行動」という概念と戯れることができるくらい充分に自由なのだが、それを完全に信頼するところまでは行っていないのだ。(逆に)ベンは理性を怖れている。(理性など身につけたら今いるところから)

「引きずり下ろされてしまう」のではないかと怯えているのだ。

 さて、どんな集団でもこれと同種の相関関係が見られるだろう。それは自分で見つけられる(見ればわかる)。「スマリ(Sumari)」と呼ばれる「意識の家族(family of consciousness)」の中にも大きな多様性がある。肉体を備えた人種が千差万別であるのと同じだ。他の精神的な(意識の)家族も中は種々雑多だ。(次のページへ続く)