Seth Network Japan
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価値観と観念

理想を体現する

理想を体現する

個人、そして群衆現象の本質
セッション 870、1979/08/01

マサ 訳

 (9 時 42 分)自分の環境における不幸な条件についてくよくよ考えるのではなく、どんな形であろうと、できるやり方で、自分の理想を自分の人生の中に表わすための手段を講じるのだ。それには無数のやり方がある。

 一般的には、たとえば、体調が本当に心配なら医者に行きなさい。そうでもしなければ、君達は自分自身の観念のせいで怯(おび)えきってしまうかもしれないからだ。しかし、とりたてて害はないが邪魔になるという身体コンディションであれば、そこから始めて、それを自分で解決してごらん。自分がなぜそれに悩まされているのか突き止めてみるんだ。頭痛なり単純な胃のもたれなり、あるいは、煩(わずら)わしいが深刻ではないという慢性の不調、たとえば、副鼻腔の問題(蓄のう症など)や花粉症である場合は、その状況において、身体には自分自身を治す能力が本当に備わっているのだということを思い起こしてごらん。

愚か者

わたしたちがまた生きるのなら

マサ 訳

 その愚か者は障壁をつくらない。
 彼の肉は空気のように澄んでいる。
 秋の月は彼の頭をとおってめぐり、
 南へと飛んでゆく鳥たちは
 彼の血をとおって進路をたどる。

 その愚か者は何もない空間のようにオープンで
 ハリケーンでさえも
 彼に肌を覆わせたり、
 (彼の)野性的なまぶたを
 半インチでも閉じさせたりはできない。

 潮流は彼の姿を浸食し、
 彼の脳はボールのように放り投げられる。
 彼は腰まで浸かって
 いくつもの月、いくつもの週を歩き、
 星たちは彼の魂を引っかいて穴を開ける。

観念の使い方

魔法的アプローチ
セッション 1980/08/28

マサ 訳

 自分の集中するものが自分に返ってくる(たとえば、健康に集中すれば健康が、病気に集中すれば病気が返ってくるということ)。そして、その集中する範囲の中で専ら責任を担うのは自分自身の観念だ。

 魔法的な方法(の具体的な手順)などというものはない。あるのは君達がいつも使っている「自然な方法」だ。もっとも、君達は、見当はずれの憶測でしかないのに真実だと思い込み、その観念に基づいて、その方法を使うことも、ままあるわけだが。ちょっとした例を挙げてみよう。たまたま、ルバートが最後には自分で気づいたケースだが、自然な方法を示す格好の例だ。結果こそ、最初は好ましくなかったが、ルバートは、その自然な方法を見事に使った。また、この例は、ルバートの理解がより深まっていることも示している。

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