Seth Network Japan
Seth Network Japan

デイルの質問: ESP クラスに参加していたころって、どんな感じでしたか?

バリーの回答:わたしは ESP クラスの様子を紹介したスー・ワトキンスの本「セスとの会話」に出てくる「ニューヨークの男の子たち」の片方です。エルマイラのクラスには毎週火曜日に通いました。片道約5時間、移動に計 10 時間かけられたのは、当時、わたしたち二人とも 21 ~ 23 歳で、大して働いていなかったからです。わたしがクラスに参加したのは 1972 年 10 月から 1974 年5月ごろまでです。そのあとは、たまに顔を出す程度でしたが、毎回出席していた友人たちとは、引き続き、かなり密に接していました。

 「クラス」と言っても、実際はジェーンのリビングルームに大勢の人がいたというだけで、とても、ごちゃごちゃした雰囲気でした。参加者は普通、15 ~ 40 人ほどで、「見学者」や新しい参加者も必ずいました。常に照明がつけられ、テーブルの上にはいつもワインの瓶がたくさん置いてありました。毎回、大きな声で話したり、活発に議論し合ったりしたもので、ジェーンはその議論を特定の方向に誘導することもありましたが、自分もその議論に流されてしまうこともありました。セスが登場すると、すべてがストップして静かになったものです。リック・スタックNew Awareness Network 社社長)の名で知られる「リッキー」がオーディオテープを販売しているので、そのうちのいくつかをお聴きになったことがあるかもしれませんね。リックは実際のところ、ロブの許可を得てジェーンのクラスのオーディオテープを売っているわけですが、わたしは何を売っているわけでもないので、リラックスして気楽に聞いてください。

 セスが出てくると、みんな話をやめて耳を傾けました。セスには常に誰かを褒める形で説明するところがありました。たとえば、クラスに見学者が一人いて、その人のことをわたしたち全員が「嫌なヤツ」だと思っていたとします。セスは出てくると、その嫌な彼なり彼女なりについてわたしたちが感じていることを表現するのですが、それがどうしたことか(その人間に対する)褒め言葉に変わってしまっているのです。しかし、同時に、わたしたちが付けた「嫌なヤツ」というレッテル自体には何の変化もありません。この説明でちゃんと伝わるかどうかわかりませんが、クラスの雰囲気には、そんなところもありました。ジェーンは、自分がセスとして何を話したかわかっていることなど一切なかったので、セスが去ると、クラスのメンバーに内容を聞こうとしたものでした。この、ジェーンが誰かしらに尋ねるだろうということを考えると、わたしはいつも本当に緊張しました。── 自分が聞かれたら、頭が真っ白になって何一つ思い出せなくなるんじゃないか、思い出したとしてもどっちみち間違ったことを言ってしまうんじゃないか ── そんなわけで、わたしはしょっちゅうドキドキしていたのですが、ありがたいことに(結局)内容についてジェーンがわたしに尋ねることはありませんでした。