Seth Network Japan
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 4d. 息子さんが亡くなったことによって、疎遠だった人や身近にいた人との距離がより縮まったということはありますか?

 わたしは(ニューヨーク市)クイーンズ区内にあるクリアヴューという地区の出身です。1950 年生まれなので、わたしや友達にとってはヒッピーが流行した 1960 年代全体が、そのままティーンエイジャーの時代でした。つきあいのあった友人たちは、ことごとく、セスの(ESP)クラスや概念などに熱中しました。そして、クラスについて書かれた本に登場する「ニューヨークの男の子たち(と女の子たち)」になったわけです。1970 年代の初めはわたしたちにとって 20 代の初めでした。ダンデは 1971 年 1 月 24 日に生まれたので、こうしたセス認識(セスによって意識の変革を体験した時期)の初期には、いたことになります。わたしたちはみんな、近所の仲間としても一対一の友人としても、つきあっていました。実際のところ、この面々や他の連中も含めた人たちの Web サイトがあり、わたしたちの溜まり場の一つだった店の名前を取って「ジェリーのキャンディー屋(Jerry's Candy Store)」と呼ばれています。60 年代の古い写真や最近の写真などを見ることができるので、のぞいてみてください(現在、リンク切れのためリンクは省略)

 ともかく、ダンデは仲間うちで生まれた最初の子供で、言ってみれば、両親と同じく、仲間のみんなにも育てられたようなものでした。ジェリーのサイトがダンデの追悼に捧げられているのは、そのためです。ダンデは特別な人たちの手で育てられた特別な子供であり、それは誰にとっても特別な意味があることでした。こうした仲間の多くには、時々、会いたいとは思っていても、何年も経つうちに(自然と)距離ができてしまっていました。わたしたちの誰もが、いろいろな形で互いに遠ざかっていたのです。ダンデが亡くなると、みんなの気持ちがまた、ひとつにまとまりました。以前よりもよく会うようになった人たちもいれば、以前と同じように、たまにしか会わない人たちもいますが、いずれの場合も気持ち(の結びつき)や一体感が強くなりました。みんなが影響を受けたわけです。仲間の多くには今、2 ~ 18 才になる子供がいますが、こうした角度から眺めると、その子供たちに対してもどんな影響があり得るか、ご想像になれるのではないでしょうか。