セスは辛辣(しんらつ)なこともありましたが、とてもおかしいことがほとんどでした。だから、クラスでは笑いとユーモアが大部分を占めていました。スマリが出てきて歌になると、自分がどっぷりと入り込めるかどうかによって、とても感動的か、ひどく退屈か、どちらかになったものです。また、「セス2」と呼ばれる存在がいました。(出てきたのは、ほんの数回でしたが)彼が出てきた時は、とても気味が悪くてゾクゾクしました。単調な声で話し、人間からは遠く隔たった感じでした。それに対してセスはとても世俗的で人々に溶け込む方です。(セスやセス2などの)“気配”を感じている間は ── 時々、わたしたちはジェーンがかけているロッキングチェアをぐるりと囲むように座ったのですが ── なんだか、インディアンの部族が(みんなで)洞窟(どうくつ)の中に座り、壁に寄りかかって、ものを食べたり、しゃべったりして、その間に洞窟の外では夜が更けていくといったような感じがしました。
リビングルームでの全般的な雰囲気はいつも活気にあふれ、「霊的」という言葉とは正反対でした。照明がともされ、おかしくて、幽霊だとか怖い話も呪いの話などもなく、酒やタバコも OK で、みんなもそれを受け入れていました。いつも、みんな仲良くやっていましたが、時々、「哲学」や解釈の違いから議論になると、セスが間に入り、両者がそれぞれ自分自身に納得できるようにしてくれました。セスが繰り返していたメッセージの一つは「君達が私の声の中に感じる活力は君達自身の活力だ」というものです。彼はわたしたちを自分自身に立ち返らせ、自身の内側に目を向けさせ続けてくれました。セスは、自分が誰かの質問に答えるつもりはないとき、こんな感じのことを言ったものです。「質問をする時、君はすでに答えを知っている。私が答えたら、君は答えの半分だけを得て(満足してしまい)、自分が答えを丸ごと持っていることに思い至らないだろう」。セスが出てきたとき、はっきり感じられたのは、もうジェーンが話しているのではなく、そこには違った「気配」があるということです。もっとも、それは幽霊のような感覚、気配ではなく、まるで別の人物がいるようでした。その別人の感覚なりエネルギーなりが話をし、そこに集まった全員の注意を一身に受けている感じがしました。みんな、彼が大好きでした。