4b. わたしたちは自分独自の領域(現実界)の中を動いているわけですが、息子さんはなぜ、その時に亡くなることを選んだのだと認識していらっしゃいますか?
息子がなぜ、あの時(1996 年 11 月 6 日)に去ることを選んだのか(少なくとも)意識的なレベルでは未だにわかっていません。妻のデビーには、いくらか霊的な能力があるので、二人でダンデと交信してみたのですが、この問題に関する答えは得られませんでした。ただ、わかったのは、あの時、あんな風に他界した ── 道路を渡っている最中に車にひき逃げされた ── のでなかったとしたら、(いずれにしても)別の時、別の形でこの世を去っていただろうということです。
ダンデが7歳くらいだったころ、彼の言葉を書き留めたことがあります。自動車事故で死ぬのは自然な死に方だと言っていました。彼も(他の男の子と同じく)車が好きでしたが「(普通の)男の子」のように車について何でも知っているとかいうわけではなく、駐車している車に乗り、ハンドルをいじって遊ぶのが大好きでした。もっとも、(結局)運転免許は取らずじまいでした。ダンデは生後 18 ヶ月の時にも交通事故に遭ったのですが、それもやはり、死んだとしてもおかしくないものでした。助手席にいた彼は頭がバックミラーにぶつかり、その衝撃で取れたバックミラーがフロントガラスを突き抜けたのです。20 針縫うけがで、一晩、集中治療室で手当を受けました。バックミラーが一種のガードになって衝撃を和らげてくれたので助かったわけですが、もし、頭が直接、フロントガラスにぶつかっていたら、まず、命はなかっただろうと思います。
4c. 息子さんとはセスの話をしたりしましたか?
ダンデとは、セスについても、セスの話す概念についても、よく話をしました。それはわたしの人生哲学、人生観を構成する活動的な要素でしたから、息子との会話でも、その話になるのは当然のことでした。わたしは常にとてもオープンで、話をしたがったので、セスだけにとどまらず、野球、テレビ、死、アイスクリームなど、ありとあらゆることについて、たくさん話をしました。また、夜、ダンデが寝る時には枕元で「セスは語る」の一部を読んであげたものです。彼はセスの語る数々の概念を信じてはいましたが、人生のそういった分野にとりたてて関心を寄せていたわけではありません。関心は、むしろ、野球や漫画や友人たちなどにありました。わたしと同じく、息子も友人たちから「心の優しい人間」、「話のわかる人間」だとみなされていました。