4e. 息子さんが亡くなって、今、住んでいらっしゃる街は何か変わりましたか?たとえば、事故現場に信号機が設置されたとか、飲酒運転には一段と警戒するようになったとかいうことはありますか?
わたしはニューヨーク市のクイーンズ区に住んでいて、ダンデが「殺害」されたのはニューヨーク州バッファロー市です。彼はそこでニューヨーク州立大学に通い、1996 年(亡くなった年)の6月に卒業したばかりでした。そして、1年半以内にはガールフレンドと一緒にバッファローを離れる予定だったのです。そういうわけで、彼が亡くなってもクイーンズには何の変化もありませんでした。バッファローも、まず変わらなかっただろうと思います。最近、テレビで、飲酒運転の事故件数はアメリカ国内でバッファローがワースト1だと言っているのを見ましたが、ダンデをひいた2台の車の運転手が酔っぱらっていたかどうかはわかりません。警察は息子を実際に「殺害」した2台目の車を見つけられませんでした。わたしが聞いた限りでは、1台目の方がはねたのだそうですが、そちらはダンデを助けようとして停止したとのことです。その運転手は酔っぱらっていなかったと思います。
4f. わたしの母が亡くなった日、わたしの従姉妹(いとこ)は 18 歳の娘を飲酒運転の交通事故で失ってしまいました。できるだけ慰めたり支えたりしてあげたのですが、そんなに悲惨な形で我が子を亡くした人に向かって「偶然というものはない」などと説明するのは、とても難しいことです。あなたなら、そんな親御さんにどう語りかけますか?
それはわたし自身、ダンデの「事件」の後に自問したことの1つです。死とは何か?偶然とは何か?この2つの問いに対する答えが、他の人に対する話しかけ方にもつながってきます。こういう場合はどうするか、いろいろな人に聞いてみたのですが、全般的な回答として得られたのは、セスをよく知っている人たちの場合、悲しみにくれている相手の観念体系(価値観)をわきまえ、それに合わせて言葉をやり取りするということでした。悲しんでいる人たちに向かってセスの語る数々の概念を高々と掲げようなどとはせず、その人たちを助けるべく、セスの観念をできるだけうまく、できるだけそっと使おうとするということです。そうした人たちの感じている心の痛みを否定したり軽んじたりしないようにものを言わなくてはなりません。彼らがセスの概念を信じていたとしたら、そうしたことを感じる必要はないのだとわかっているにしてもです。