アイリーンの質問:自分はどんな場合、ほかの人に迷惑をかけていることになるのか、どうしたらわかりますか?自分に起こってほしいことはここまで、兄のマイクに起こる必要のあることはここから、という線の引き方は、どうやったらわかるのでしょう?この質問、通じるでしょうか?(質問者の兄弟が重い病気になり、妻共々、苦しんでいるのだが、どう対処したらいいかということ)今、起こっていることで義理の姉が思い悩んでいるのがわかるのですが、それが彼らの進むべき道であるのか(自分が介入すべきではないのか)わたしにはわかりません。健康であることを選ぶのであれば、どうして自分が病気になったのかを調べてみなくてはいけないと、兄にも説明したのですが、それは(自分の現実を)創造することやフレームワーク2など(の概念)になじんでいない人にとっては難しいやり方でしょう。まったく、ジェーンにさえも「普通の人」としての時々があったわけですから。
バリーの回答:わたしたちはいつでも互いに迷惑をかけあっているものです。わたしたちの相互的な活動には、本質的にそういうところがあります。自分一人が起こってほしいと思うことは、いつ、どこであっても、他の人が関わってくるラインの手前で終わります。そこから先に起こることは、関わってきた人とあなたが共に起こってほしいと思うことが創造されたものです(多ければ多いほど愉快になります)。ご兄弟のマイクさんに起きていることは、マイクさんがしていることであり、彼が(自ら)創造したことです。あなたがアドバイスしたり、進む方向を示したりしてみることもできるでしょうけれども、それに耳を貸すかどうかは彼自身が選択することであり、あなたはそれを認めなくてはいけません。
わたしがあなたにできる唯一のアドバイスは、こうした人たちに対しては、できるだけ優しく語りかけるということです。さげすむような言い方にならないようにしながら、彼らにわかる言葉で話すのです。あなたが理解している彼らの観念体系をわきまえたうえで、彼らのためになると思われる方向へ、そっと導いてあげてみてください。(ただし)一度、助言を与えたら、その結果がどうなるか、あるいは彼らがどういう反応を示すかは、あなたにどうこうできるものではありません。最も難しいことの一つは、他の人たちがしていることを自分が誤りだと思っても(口を挟まず)そこにいながら見守り続けることです。あなたに支えられながらも、彼らは自分なりに学ばなくてはならないのです。(逆に)他の人たちも、一歩下がって見守ることで、自分が誤りだと思うことをあなたがしたり、そこから学んだりするのを応援してきたはずです。こうしたことはどれも、喜びに満ちた、ほんの一瞬の出来事で、すべての道は同じ所へと続いています。それは、平和と笑いと知恵に満たされた場所であり、そうしたことすべてにかかる時間は実在しないわけです。
ご兄弟と義理のお姉さんに対して「進むべき道を示す」ことは、あなた自身のためになりません。その逆も同様で、彼らがあなたに対して、これこれの道に進むべきだと言ったとしたら、それは彼ら自身にとってよくありません。彼らの進む道がどんなものであれ、それは彼らが進むことになっている道です。あなた自身は自分がどういう道を進んでいると考えようとも、みなさんは同じ道を進んでいるのです。
意識しているかどうかはともかく、誰でも、そもそも自分がどうして病気になったのか、どうやったら快復への道を見つけられるかということを突き止めようとしています。ですから、自分の考えていることを(相手に)できるだけうまく説明したら、あとは放っておくことです。ご兄弟が抱いている人生観の範囲内で手を差しのべてみてください。そして、もし、実際、耐えられないほどになったら、(あるいは)あなたが反発したくなるような観念体系を彼が抱えているとしたら、そちらは成りゆきにまかせることにして、彼の人生にはもう関わらないようにするしかないでしょう。でないとあなたの方が正気を失うことになりかねません。(もっとも)そんな状態にまで達していることはないと思います。ですから、リラックスしてください。そして、ご兄弟に対する質問のいくつかを自分に問いかけ、自分で答えてみるんです。そうやってみて、自分でその答えが気に入ったなら、人生を楽しむことです。(自分が病室に持参した)バラの香りを嗅いで、ご兄弟の頬にキスをしてあげてください。苦闘している彼を支え続けてあげるのです。