Seth Network Japan
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 ダグフィン・ノーダース(ノルウェイのナルヴィク工科大学に留学しようとしている 20 歳の学生)から寄せられた5つの質問:
 Q1:セスは“いかなる状況でも”人を殺すべきではないと明言しています。でも、たとえば、自分が(第2次大戦中のナチスの)強制収容所に入れられていたとしましょう。そこで、仮に、自分が仲間の1人を殺さないと、その相手も含めた 10 人が(他の人間に)殺されると言われたら、どうしますか?自分が1人殺せば、それが殺人です。殺さなければ殺さないで、生きていられたはずの9人が死亡したのは間接的に自分のせいになってしまいます。

 バリーの回答:セスが言う、多次元レベルでの“正しい”行いと、日常的な意識の三次元レベルで“正しい”と思われる行いがあります。最終的には、そのどちらを取っても構いません。死とは、わたしたちが考えているようなものとは違います。前もって同意することなしに死ぬ人はいないのです。また、その瞬間に至るまで(実際に死ぬかどうかは)いつでも自由に選択できるわけです。もっとも、瞬間とは時間の中にあり、時間というものは存在しません。(こうした要素がいくつも関わっているので)この質問は「要するに結論はどうなんだ?」といった単純なものの見方で型にはめ込むことはできません。

 セスのとっているスタンスは「人を殺すことには、いかなる正当性もない。たとえ、自分を護(まも)るためであっても」というものです。それは、今現在、わたしたちは誰でも、将来と同じくらい「死んでいる」(将来の状態を「死」と呼ぶのであれば現在も「死」である = 将来も現在と同じように存在し続ける)という考え方に立ったものです。誰かと、言わば「共謀」する形で人の命を奪うことになったら、つまり、ある人が 10 人殺害しないようにするため、あなたが1人殺害することに同意したのなら、それは、やっぱり、1人の命を奪う殺人です。あなたに1人殺害するよう強制することも、それにあなたが従わない場合は 10 人殺害するということも、ナチの人殺しが選択することです。(それに対して)自分がどうするべきかを決めるのは、あなた自身の選択です。そのナチの人間、殺されるかもしれない 10 人、そして、あなたという全員が、このドラマを最後まで演じきる(この状況をそれぞれの立場で生きる)ことに(表面的な意識の下で)合意したわけです。また、その誰にも、すべてが同時に起こっている時間と、いくつもの次元の中で、自分が数え切れないくらいの人生を生きたことがわかっているのです。蓋然的な人生や代替現実界alternate realitiesなども、もちろんのことです。