2. 基本は読者自身
セスの解説が時間と空間を超えて人気のある理由としてさらに考えられるのは、セスがわたしたちの個人的、社会的な問題の性質や解決方法を示してくれること、そして同時に、解決の鍵はわたしたち以外の誰にもないことをはっきりと指摘することです。
時々、断片的な情報に基づいてセスの本を「宗教」だと考える人がいますが、「自分で解ける問題だからやってごらん」と言うことが宗教だとしたら、世の中の教師、講師、教官はすべて「宗教家」になってしまいます。受験用の問題集もクロスワードパズルの雑誌もみんな「宗教書」になるので国税庁は相当困ることでしょう(ん~?)。以下、またいくつか、「オーディオ・コレクション」からの抜粋をご覧ください。
自分を過去の犠牲者にしないこと
大事なのは、自分が説明のつかないもののなすがままになっているわけではないということを君達がここで悟ることだ。自分では全くどうしようもない出来事、それが君達の表現で言う心理的なものであろうと物理的なものであろうと、そうした出来事に弄(もてあそ)ばれているわけではないということに気がつくことだ。
前にも言ったように、君達が、今の生活は自分の幼少期の出来事によって引き起こされたと信じようが、それと同じくらい自分ではどうすることもできないと感じている前世が原因だと考えようが、大した違いはない。君達に起こる出来事、君達の人生、体験は君達の現在の観念によって生じている。観念を変えれば君達の人生も変わる。
落ち込み
落ち込んだ状況には、わけもなく陥ってしまうわけではない。君達の観念が、その意気消沈した状態を引き起こしているのだ。
沈んだ気持ちに面と向かい合ってごらん。その気持ちにずっとついていくのだ。しかし、それが「気持ち」であることを理解しなさい。ちょうど、観念が観念であることを ── 望むらくは ── 理解するのと同じことだ。例えば、自分は駄目だとか値打ちのない人間だとか感じるのと、実際に駄目であること、値打ちがないこととは違う。他のみんなにとっては君が世界で最高の成功を収めた人間であったとしても、君自身は駄目な人間だとか、価値がないとか感じることだってあり得るのだ。
だから、自分の気持ちを調べたり、気持ちを素直に感じてみたりする場合、気持ちはあくまで気持ちだということに気づきなさい。気持ちは必ずしも真実だと決まったわけではないことがわかれば、君達はその気持ちを越えて進んで行けるだろう。