Seth Network Japan
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健康と観念

 以下、「健康」というタイトルの章から抜粋した文章です。ジェーン・ロバーツの解説で始まります(文中の「…」は原文どおり)。


 数週間前、わたしたちは、かつての隣人が亡くなったことを知りました。一年ほどでしょうか、ジョーンという、その女性はわたしたちと同じアパートの、廊下を隔ててちょうど向かい側に住んでいたことがあります。痩せ型で赤毛で、気性の激しい女性でした。彼女はわたしの知っているなかで最も機知に富んだ人の一人だったと思います。ものまねの達人でした。でも、彼女は持ち前のウィットをよく、まるで剣(つるぎ)のように使ったのです。それは残酷なユーモアでした。その剣を彼女自身に向けた時でさえも ── 実際、それはよくあったのですが ── 同じことでした。

 彼女は三十代前半で、いい仕事に就いていたものの、同僚たち全員を見下(みくだ)していました。ここへ引っ越してくる前に結婚生活も離婚に終わり、いつも再婚の話をしてはいましたが、彼女の男性不信は大変なものでした。男性を本当に憎んでいたと思います。女性たちに関しても、それほどましだと思っていたわけではありません。でも、時には、とても心優しくなれる人だったのです。ロブ(ロバーツの夫、ロバート・バッツの愛称。妻の姓「ロバーツ」は旧姓かつペンネームで、本名は「ジェーン・バッツ」またはダブルネームで「ジェーン・ロバーツ=バッツ」)とわたしのことは気に入っていて、彼女とわたしはよく、わたしが今、この本を書いている、このテーブルについてすわり、おしゃべりをしたものです。

 彼女のおしゃべりはいつも決まって、知り合いの誰かのことを、どうしようもないくらいおかしく辛辣(しんらつ)に描写する話で始まりました。人々の弱点を察知してそれを慰みものにするということに関して彼女は怖ろしいほどの才能がありました。そうした点はあっても、病気の時以外はバイタリティーにあふれ、切れのいい、生まれつきの賢さを備えた彼女でした。わたしたちは一種のゲームをしていました。それは、こんなものです。わたしは彼女が好きでしたが、たとえ、どんなにおもしろおかしく演じられたとしても、否定的な考えや悲観主義を延々と1時間も矢のように浴びせられ続けるのはまっぴらでした。彼女もそれを知っていました。始末の悪いことに、彼女の話は本当におかしいので、笑ってはいけないとわかっていても、笑わずにいるのは並大抵の苦労ではありません。それも彼女にはちゃんとわかっていました。そこで、彼女はよく、話をどこまで持っていったらわたしがそれをとがめてお説教を始めるか試そうとしたのです。わたしは、他の人たちに対する彼女の姿勢こそが、彼女の抱えた難題の最たる要因なのだと指摘したものです。

 その難題とは病気です。それもまあ、よくもこれだけいろいろと大変な病気にかかるものだというほどでした。彼女自身でも、どの年にどの病気で悩んだのか数え直すこともできなかっただろうと思います。かかった病気のいくつかは深刻なもので、何度も手術を受けていました。世間で流行(はや)っている病気には、ことごとく感染し、流行っていないものにまで感染したのです。医者から医者へ転々と渡り歩き、いつもはっきりした身体的な兆候があり、見ていて怖いくらいの症状もしょっちゅうでした。彼女に対する食事療法は、かなりの制限があるものでしたが、それでも彼女の病気はどんどんひどいものになり始めました。

 感情の面で、彼女は極端に昂揚(こうよう)している時と極端に沈んでいる時の間を行ったり来たりしていました。自分の年齢のことで心をわずらわせていました。「四十に手が届くころには人生も終わったようなもの」だと確信していました。彼女にとって、それは数年後のことでした。それでも、わたしたちは彼女が亡くなったという知らせを受けて驚きました。わたしたちは彼女が「病は気から」というとおり、自分で自分を病気にしていることに気づいてはいましたが、命を落とすほどの病気にまでなるとは全く思っていなかったのです。