2. 社会的な観念
こうした要素をまとめて見ると、当時のアメリカ社会では異なる価値観のグループ(観念群)の対立、葛藤が表面化していたことがよくわかります。たとえば、差別に対抗する動きとそれを抑えようとする動きなどです。おもしろいのは、キューバ危機、ベトナム戦争、アポロ計画などで機械文明、物質主義、進歩主義的な側面が前面に出てきたことに対する反動として懐古趣味や、自らの宗教に立ち返る動きがあまり見られない点です。マルコム Xやモハメド・アリに見られるように黒人の一部がイスラム教に改宗し、多くの白人が東洋の神秘的な要素に惹かれたのは、彼らがそれまでのキリスト教、正確には、キリスト教という枠組みの中にあった観念群に対して行き詰まり、束縛、人種差別などを感じたからでしょう。
本書を作るにあたって、60 年代、70 年代のアメリカを自ら経験した人たちから情報を寄せてもらいました。少し乱暴ですが、彼らの話をまとめると次のようになります。
ベトナム戦争は共産主義に対する非現実的な怖れに基づいたものだった。大量破壊兵器や宇宙ロケットなど、科学は特定の領域で発達し、科学的に証明できないものは存在しないという風潮も感じられた。おびただしい数の犠牲者を生んだ戦争によって、人々が政府の妥当性、権威の有効性を疑問視するようになった。
特に若い世代は、現実というものをどう捉えたらよいのか、現実とは何なのかと考えた。そんな時、現実というものがそれまで人々の考えていたものとは違うこと、さまざまな現実があること、現実は常に自分たちが作り出していることをセスの本が示してくれた。もっとも、セスの本は、瞑想、禅、ドラッグ、ヒッピー運動等、当時の人々にとって存在した多数の選択肢の中の一つにすぎない。
比較的自由な気質のあるカリフォルニア州では、セスの本が出版されると、本の内容について討論したり、瞑想したり、中にはチャネリングを行なったりもする若者たちの集まりがあちこちに誕生した。彼らは論理的、科学的なものの見方をわきまえながら、同時に、セスの本で次々と紹介される概念を吟味、理解できるだけの柔軟性も持ち合わせていた。
ニューエイジの世界は、自分たちの人生に意味と目的があること、それまで続いてきた欧米の科学的なものの見方が万能ではないことなど、人々が主観的に感じているものを表現する集合的な願望を示していた。人々は信じられるものを必要としていた。
上記の情報を寄せてくれた人たちからは、ニューエイジ界でセスの本はどういう役割を果たしたかという質問に対してもさまざまな回答が集まりました。興味深いことに、セスの本を読んだ人は本当に少数派だと考えている人もいれば、全く、その逆だと捉えている人もいます。ニューエイジの書店を自ら経営していたという、ある人は、セスの本は空前の大ヒットになることこそなかったものの、シャーリー・マクレーンやディーパック・チョプラなど、ニューエイジを代表する人物に大きな影響を与えたと話しています。名の通った他の人たちも大抵はセスの影響を受けており、自分の現実は自分が作るという概念も、元々、人々の意識上に持ってきたのはセスのコンセプトを学んだ人たちだとのことです。
ディーパック・チョプラは米アーユルヴェーダ医学協会会長で、心と健康などに関する多数の著書で知られる医学博士です。ちなみに、多くのセスの本にはチョプラや、「かもめのジョナサン」などで知られ、ロバーツ夫妻の友人でもあったリチャード・バックらの推薦の言葉が載せられています。