気がついたときは、明らかに、このひとまとまりの奇妙なメモの題名と目されるものを自分が書いているところでした。それは「観念の建造としての物質世界」というものでした。この中で紹介された数々の概念は後にセス資料が発展させていくことになるのですが、この時のわたしにはそれを知る由もありませんでした。セッションを開くようになってまだ間もないころ、セスは一度、彼がわたしに初めてコンタクトを取ってみようとしたのがこの時だったのだと語りました。唯一、わたしにわかっているのは、もし、この晩に自分がセスとして話し始めたのであったとしたら、それはもう、恐怖の念にかられてしまっただろうということです。
その時の状況では一体、何が起こったのかわからなかったのですが、それでも、自分の人生が突然変わってしまったということは感じました。「啓示」という言葉が脳裏をよぎりました。それを頭から振り払おうとしたものの、やはり、その言葉はピッタリくるものでした。ただ、その言葉に含まれた、妙に神秘的な意味合いが気になったのです。わたしは、自分自身の仕事におけるインスピレーションというものには馴染みがありましたが、これは普通のインスピレーションと比べたら月とスッポンほどの違いがありました。
わたしが「受信」した数々の観念もまた、驚くようなもので、現実というものに対するわたしの概念を覆(くつがえ)してしまいました。あの日、あの時に至るまで、わたしは「物質的な現実は信頼できるものである」ということを確信していました。物質世界というものは、時には気に入らないこともあるかも知れないけれども、それ自体、信頼できるものでした。そして、そのつもりになれば、それに対する考え方を変えることはできるけれども、それによって現実自体を変えることなどは絶対にあり得ないことでした。それが、そんな風に考えることは二度とできなくなってしまったのです。
その体験の最中、わたしは、わたしたちが物質を形作っているのであって、その逆ではないこと、また、五感というものは、普通には知覚できない数限りない現実界のうち、たった一つの三次元世界のことを伝えるのにすぎず、その限られた理解範囲の中においてのみ信用に足るものであるということを知りました。
上記の体験でロバーツの書き記した原稿が、いってみれば、セスの著作の「創刊号」ということになります。ちなみに「セス資料」(The Seth Material)というのは本のタイトルであると同時に、セスが約 20 年にわたって口述した資料全体をも指します。
ここで訳語の話になりますが、日本語では、Web 検索してみるとわかるように「マテリアル」は専ら製造業や建設業で使われる言葉です。これに対し、The Seth Material のMaterial は日本語でいう「プレゼンの資料、そろった?」、「論文の資料を見せてください」などという場合の「資料」にあたります。「プレゼンのマテリアル、そろった?」、「論文のマテリアルを見せてください」と言うことはありません。このため、わたしは「セス資料」と訳しています(因みに中国語では「賽斯資料」と訳されています)。
バッツ夫妻の住んでいた建物は普通の一軒家のようにも見えますが、中は多数のアパートに(“apart”の文字どおり)分かれており、バッツ夫妻は2階にあるアパートのうち、2世帯分を借りていたのだそうです。
ロバーツは後に「ESP クラス」と呼ばれる「セス講習会」を開くようになりますが、会が行われてにぎやかな最中でも、バッツ氏は必要があれば、別世帯の部屋に行って静かに絵を描くことができたそうです。
上述の自動書記では、ウィージーボードを使う場合よりも多くの情報をずっと速く扱えるものの、ロバーツが「受信」するだけの一方通行です。次はセスと双方向のコミュニケーションができるようになるまでを見てみましょう。