第2章 バッツ夫妻の背景
ジェーン・ロバーツという人
ロバーツの略歴は以下のとおりです。
- 1929 年、米国ニューヨーク州サラトガ・スプリングス市に生まれる。
- 同市スキッドモア・カレッジで英文学を学ぶ。
- 1954 年、画家のロバート・バッツと結婚。
- 1956 年以降、旧姓ジェーン・ロバーツのペンネームで SF 小品、短編小説、小説、詩を発表。
- 1963 年より自らの著作活動と並び、いわゆるチャネラーとして「セス」という存在からのメッセージを口述する。その内容は夫ロバート・バッツにより記録される。
- 1966 年以降、自著 11 冊、セスの本 9 冊を出版。
- 1984 年、ニューヨーク州エルマイラ市で死去。
ロバーツは、かなりまじめな人だったようですが、頑固だと評されることもあったようです。これは、彼女がカトリック系の児童施設で厳しい教育を受けたことと関連していると言われます。たとえば、ある時、彼女の書いた詩を見た神父が、その詩の書かれた紙を「異端」だとして燃やしてしまったことがあるそうです。そうした神父たちが彼女の人格形成に少なからず影響を与えたのではないかと考えられています。もっとも、元々、カトリック系の教育を選んだのはロバーツ本人でした。公立学校に通っていた9歳のころ、彼女は途中からカトリック系の学校にどうしても移りたいと言い出したのだそうです。公立学校の方がいいと考えていた母親も、娘の意志の強さに折れて転校を認めたようで、セスの言葉を借りれば、すでにこのころから彼女は頑固だったということになります。
ロバーツは 19 才でカトリック教会を脱会します。彼女自身は、たとえば「セス資料」のまえがきで彼女のキリスト教観を述べていますが、それは当時の一般的なアメリカ人にとっても、現在のわたしたちが聞いても、特に驚くようなものではないと思います。
ロブとわたしは伝統的な意味で見れば、信仰心が厚いなどとはとてもいえない人間でした。教会には、結婚式やお葬式に出席する以外、何年も行ったことがありませんでした。わたしはカトリック信者として育てられましたが、大きくなるにつれて、自分の先祖たちの信仰していた神を受け入れることに困難を感じるようになりました。心の中で皮肉な声が「主も、ご先祖様と同じようにもう死んでしまっているんだよ」とささやいたりしたものです。「天国」は子供のころ、わたしを精神的に支えてくれましたが、十代のころには有意義な生き方の指針として掲げられた薄っぺらな作りごとに見えました。だって、たとえ父なる神が本当に実在したとしても、いったい誰が、そのへんにぶらぶらとすわって賛美歌など歌ってほしいと思ったりするでしょうか。それに、どこのどんな賢い神様が、こんなにたゆまぬ崇拝を要求するでしょうか。それは全くのところ、とても頼りにならない、ぞっとするほど人間的な神です。
選択肢のもう一方、「地獄の業火(ごうか)」というものも、それと同じくらい信じられないものでした。わたしたちの父や祖父たちの伝統的な神は、悪魔が他の不幸な死者たちを拷問にかけているというのに、明らかに良心の呵責(かしゃく)もなく、諸聖徒たちと共にのんびりとすわっているだけなのです。「そんな神なんて、いらない!」とわたしは心に決めました。そして、もう「彼」のことを自分の友達だなんて思いませんでした。この点についていえば、話によると「彼」も自分の息子キリストのことを大切にしすぎることはなかったようです。でも、キリストのことは尊敬できるとわたしは思いました。彼はこの地上にいて、実際の様子がどうだったのか知っていたわけですから。
その後、20 才にもならないうちに、こんな古めかしい神や聖母マリアや聖者たちの聖餐式(せいさんしき)は卒業していました。天国と地獄、天使と悪魔は処分されていました。わたしが「自分」と呼んでいる、この特定の化学物質と原子の集まりは、もう決してこんな「わな」── 少なくとも「わな」だと見分けることのできるもの ── にひっかかることはあるまいと思ったものです。