発端
エルマイラ市はチェマングという川が市を横切るかたちで大きくS字形に蛇行しながら概(おおむ)ね東西に走っています。バッツ夫妻は、このチェマング川に沿って走る「ウォーターストリート」という通りに住んでいました。
作家とはいえ、ロバーツは裕福な生活が送れるほど売れっ子であったわけでもありません。ごく平凡で地味な生活を送っていた 34 歳の時、突然、自動書記(自動筆記)を経験します。ロバーツ自身は次のように述べています。
…知っているかぎりにおいて、それまでの自分の人生で心霊的な体験などは一度もありませんでしたし、他にそんな体験をした人なども一人として知りませんでした。わたしのバックグラウンドで 1963 年9月9日の、あの驚くような晩のための準備になるようなことは何一つなかったのです。しかし、その晩の出来事がセスとのコンタクト、そしてセス・セッションを開くきっかけとなったのは確かです。
すてきな秋の宵でした。夕食の後、わたしはいつものように、詩を書くべく、リビングルームの古いテーブルに向かってすわりました。ロブは3部屋隔てた、奥の仕事部屋で絵を描いていました。わたしはペンと紙を取り出し、その日、9杯目か10 杯目になるコーヒーのカップとたばこと共に、自分の「定位置」に落ち着いたところでした。わたしたちの猫ウィリーは青い毛布の上でうたた寝をしていました。
そこで、いわば、薬物を使わない幻覚体験のようなものが起こったのです。仮に誰かがわたしにこっそりと LSD を投与したなどということがあったとしても、その体験がそれ以上に奇怪なものになるようなことはなかったことでしょう。1分1分と時間が経過していく間中、わたしの頭の中に斬新な観念がまるで突拍子もない雪崩(なだれ)か何かのように、ものすごい力で沸き起こってきました。それは、あたかも頭蓋骨が一種の受信ステーションになって、とても耐えられないほどの強さにまでボリュームを上げたような感じでした。この「チャンネル」を通じては、観念だけでなく、感覚も増大され、脈打つようにやってきました。波長がピタリと合わされ、電源がオンになったようになり ── まあ、どんな表現でもかまわないのですが ── 信じられないようなエネルギーの源泉につながっていました。ロブを呼ぼうと叫ぶ時間もなかったのです。
それは、あたかも、この物質世界が実際のところはティッシュペーパーのように薄っぺらなものであり、それが大音響と共に引き裂かれ、その向こうに隠されていた、現実界の無限に拡がる次元の中にわたしが突然、放り出されたかのようでした。わたしの肉体は机に向かってすわり、手は、頭に閃(ひらめ)く言葉や観念を狂ったようになぐり書きしていたのですが、同時に、ほかのどこかにいるような、さまざまなものを通り抜けて旅をしているような感じがしました。垂直に落下して一枚の葉っぱを通り抜け、一つの宇宙全体がすっかり開け放たれているのを発見したかと思うと、そこから抜け出て、また新たな景観の数々へと導かれていくというような感じだったのです。
わたしが忘れることができないよう、知識がわたしの身体の細胞に植え込まれたような感じがしました。「内臓的知識」あるいは「生物的な精神性」とでも言えるものでしょうか。それは「知的」な知識と言うよりは「感じる」こと、「知っている」ということでした。それと同時にわたしは、それまではすっかり忘れていたのですが、その前の晩に見た夢でこれと同じような体験をしたのを思い出しました。そして、その両方が結びついているのがわかったのです。