第5章 万人受けしない要因
1. 広さと堅さ
本書はロバーツとセスを「売り込む」ためではなく「紹介」するためのものなので、セスの本が誰にとっても面白いとは限らないという点にも触れておきます。
取り扱うトピックの範囲が広いことは読者を増やすことに繋(つな)がりますが、そのすべての範囲にすべての読者が付いてくるわけではありません。セスの本が大衆文学でないのはもちろん、解説書としても、読者層が自ずと絞られる理由は、その「テーマ範囲の広さ」と、その理路整然とした「堅さ」にあると考えられます。すなわち、「そういう話題には興味がない」という人や、堅すぎて「歯が立たない」という人、「消化できない」人がいて当然だということです
これが顕著になる題材のひとつに、自然科学系、特に物理や化学が関わる話があります。中には「理系」の気配を感じただけで頭が「フリーズ」してしまう人もいるようです。試しに以下をご覧ください。引用文と同じ色のカッコ内はロバートの夫バッツによる注釈です。
観念
君達の環境は君達の想念、感情、観念が物理的な光景として目に見える形になったものだ。君達の想念、感情、観念は時間と空間を通って動いていく。それ故、君達は君達自身とは離れた物理的な状況にも影響を与えている。
物理的な立場から君達の肉体の壮観な枠組みを考えてみよう。君達は、他の全ての物質と同じように肉体も堅固なものだと理解している。しかし、物質というものが探求されればされるほど(探求の対象が小さくなればなるほど)、その中ではエネルギーが特定の格好を(臓器、細胞、分子、原子、電子といった形態で)装っていることがより明らかになってくる。それぞれ、後の者ほど肉体的なレベルから遠ざかり、また、それぞれが、物質を形成するための神秘的な姿で結合している。
(11 時 25 分)君達の身体の中にある原子はみんな回転している。そこには絶え間ない騒然とした活動がある。あれほど堅固なものに見えた肉だが、その正体は素早く動き回っている粒子からできているということだ。それも、粒子同士が互いの周りを回るなどして、大量のエネルギー交換がひっきりなしに起こっている。
君達の身体の外にある空間の成分は同じ元素から成り立っている。ただ、その構成比率が違うだけだ。君達が自分の身体と呼んでいる組織体とその外部の空間との間には常に物理的なやり取りがある。それは化学的な相互作用、基礎的な交換で、君達の知っている形での生命には不可欠なものだ。
呼吸を止めることは死ぬことにつながる。呼吸は君達の肉体的な感覚機能の中でも最も身近で、かつ最も必要なものだ。吐いた息は君達そのものの中から流れ出て、君達とは別のものに見える世界の中へと去っていかねばならない。物理的に見れば、君達の一部は絶えず君達の肉体を離れて元素と混じり合っている。アドレナリンが血液中に放出されるとどうなるか、君達も知っているだろう。それは君達を奮起させ、活動する準備を整える。しかし、その一方でアドレナリンは身体の中にただ留まっているわけではない。形こそ変わるものの、空気中に発散されて大気に影響を与えるのだ。
君達の感情はどんなものであってもホルモンを放つことになる。そして、それらもちょうど君達の吐く息と同じように君達の元を離れていく。その意味で、君達は化学物質を空気中に放出し、それによって、その空気に影響を与えていると言える。
そして物理的な嵐は、こうした相互作用によって引き起こされる。もう一度言うが、君達は自分自身の現実界を形作っている。これには物理的な天候も含まれる。天候は君達個人個人の反応が集合した結果を表すものだ。
特にこの点は本書で後にもっと詳しく取り上げるつもりだ(後日追記:セスは第 18 章で実際に取り上げている)。君達は、あることを学び、理解するために肉体を持って生まれてきた。それは、自分達のエネルギーが感覚、想念、感情に置き換えられ、一つの例外もなく、全ての体験を引き起こしているということだ。
一度(ひとたび)これさえ理解できたなら、あとは自分の持っている数々の観念がどういうものなのか吟味することだけを覚えればいい。それは、そうした観念が元で君達は自動的に特定のパターンに従って感じたり考えたりしているからだ。君達の感情は君達の観念に従う。その逆ではない。
君達に、いろいろな分野での自分自身の観念を認識してほしい。自分が「真実」として受け入れている概念は、どんなものでも、自分が抱いている「観念」だということに気がつかなくてはならない。それができたら、次のステップに進んでこう言うのだ。「自分が信じているからといってそれが必ずしも本当であるとは限らない」。基本的な制限につながる観念を無視するということを君達が覚えられたらと思う。