Seth Network Japan
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 そして、不愉快な気持ちが湧き上がってくるのを感じたら、暫(しば)しの間、その気持ちがどこからきているのか、できるだけ突き止めてみなさい。難しいと思うかもしれないが(実際にやってみれば)その答えはずっと簡単に得られる。そういった気持ちを、その時点で「自分が抱いている気持ち」として受け入れる(認める)んだ。どこか下の方に押し込んだり、目をそらしたり、自分の考えていることはいいことなのだと、すり替えようとしたりしないこと。

 まず、自分の「気持ち」の現実界に気づきなさい。ある程度の期間、自分の抱いている数々の想念をもっと意識的に捉えられるようになったら、そうした想念が自動的に特定の気持ちを引き起こすのがわかるようになるだろう。自分に自信のある男は、他人から軽んじられるようなことがあっても、いちいち腹を立てたり根(ね)に持ったりすることはない。しかし、自分自身の価値に対して怖れを抱いている男は、そんな状況で激怒するわけだ。

 感情は、妨げたりせず、自由な流れにまかせれば、君達をいつでも元の意識的な観念へと導いてくれる。君達の感情は常に身体の化学的なバランスを変え、ホルモンの分泌を変化させているわけだが、危険になるのは、君達が自分の意識的な心の中身に相対(あいたい)することを拒む時だけだ。自分自身を知ろうとしたり、自分の体験している現実に面と向かい合おうとしたりする「意思」だけでも大きな恩恵になる。その意思が、始めようとする原動力やエネルギーを与えてくれる気持ちを産み出すからだ。

 (休止)こうしたことを君達のためにやってくれる人はいない(これは君達が自分でやることだ)。君達は、心が健康な状態とは、いつでも機嫌がよく、意思がはっきりとしていて、優しく、決して、泣いたり、がっかりした様子を見せたりしないことだと思うかもしれない。(だとしたら)その観念だけでも、人間がごく自然に体験する数々の局面を否定し、感情の流れを遮(さえぎ)ることに繋がり得る。その流れには、本来なら、君達の身体と心を浄化する働きがあるのにだ。また、感情とは危険なものだと信じているとしたら、その観念自体もまた、あらゆる感情に対する怖れを産み出すことになるだろう。そして、極めて“理性的”で落ち着いた振る舞いから多少でもはずれた行動を(人前で)露呈する羽目にでもなろうものなら、殆どパニック状態に陥ることになりかねないのだ。

 そうなると、自分の感情は、とても予測がつかず、極めてパワフルなものだという感じがすることもあるだろう。だから、どんな犠牲を払ってでも抑え込んでおかねばならないというわけだ。そうやって自然な感情を締めつけようとすれば、必ず、それなりの犠牲を払うことになるのだが、ここで非難されるべきなのは、その観念自体であって、そうした感情ではないのだ。ここまでに挙げた、いずれの状況でも、君達は内的なバランス感覚への接点を失ってしまう。君達という存在に備わっている自然な恩恵が乱されてしまうのだ。