Seth Network Japan
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 (ここから、ジェーンは強調するべく、目を大きく見開いて話した。瞳が拡がっていた。声は力強く、断固とした口調だが、テンポは速く、頻繁に身振りや手振りを加えた)

 ── その自己達に備わった内部の自我が意識的に働くことで継続性が得られるのだ。

 それ故、こうした体系には君達の言う現在、過去、未来という概念は存在しないだろうし、ある時点において、たった一つの出来事だけしか起こらないという観念もわかってもらえないことだろう。この次元はプリーストリー、ダンのいずれもまだ調べ始めてすらいない現実界の中に存在する。

 知覚者(観察者、当事者)の心理構造全体がまるっきり違うわけだ。そこには、全ての蓋然的な出来事の中から(実際に)生じる一つの出来事があるのではない。あるのは、君達の知っている、一定の「時間」の範囲内で個々のあらゆる人間に起こり得る、数学上、蓋然的な(確からしい)全ての事象の体験だ。

 (次の段落は全体に下線が引かれているものとする。ジェーンは、そのくらい力強く、きっぱりとした口調だった)

 そういうわけで、この「知覚する参加者」(観察者)は心理的な「組成」が君達とは全く異質なのだ。ただ、こうした体系でも、君達の場合と同様、その知覚者は「参加者」であると同時に「創造者」でもある。違うのは、君達が概念として抱いている時間にではなく、蓋然性に基づいて活動するということだ。そうなると、君達の目には、その知覚者が一瞬一瞬において、存在する、あらゆる蓋然性の中に潜り込んでしまうように見えるだろう。一方では、君達の時間にして何世紀もの歳月が経ったのに等しいことになるが、他方では、ほんの一瞬にすぎないということになるわけだ。

 ここでは時間の体系が悉(ことごと)く違うのだ。もっとも、価値の達成は、どちらの体系においても有効だ。また、極めて大雑把に見れば、この蓋然性の体系はダンの言う「時間3」に例えられるだろう。

 (セスは数ヶ月前、電気的な場や「瞬間点」(“moment points”)の話を始めたころ、上述の概念にも少し触れた。ジェーンがダンやプリーストリーの本を読み始める前のことだった)

 ただ、(蓋然性の体系とダンの説には)一致しない点も数多くあることだろう。こうして似通った点をここで持ち出したのは、私の考えを少しでも捉えやすくするためだ。