(9 時 31 分)ある意味で、科学と宗教はどちらも「客体的に創造された宇宙」という概念で(自説、世界観を)明確にしようとしている。片や「神がそれを造りたもうた」、片や「最初にエネルギーの爆発があった後、説明のつかない何らかの形で物質が形成され、最初は『死んでいた』その物質から意識が生じてきた。ただ、どうやってそうなったのかは、まだこれから説明されなくてはならない」というわけだ。
(実際は)そうではなく、意識が物質を形成したのだ。前にも言ったとおり、原子や分子の一つ一つには独自の意識がある。意識と物質とエネルギーは一つだ。しかし、エネルギーが物質へと姿を変える、その変換を先導するのは意識なのだ。そういった意味で、君達の宇宙の「始まり」は意識の拡大にとって大成功だった。それは自らを物理的な姿に変えることを覚えたのだ。宇宙は同様のやり方で(物理的な)現実(actuality)の中へと生じてきた。尤(もっと)も、あらゆる観念は君達が「主観性」と考えるものから物理的な表出へと生じるわけだが、宇宙の場合はその度合いが異なった。
本書の読者一人一人の意識は ―― 括弧に入れて(バッツへの指示)(君達の表現で言えば) ―― 宇宙が形作られる以前に存在した。ただ、その意識は顕在化していなかった。宇宙が形成される前にあった存在状態は、君達にとって一番近い譬(たと)え ―― これはあくまでも譬えに過ぎない ―― で言うなら、夢の状態(the dream state)だ。(長い休止)始まりの前である、その状態において、君達の意識は空間と時間に囚(とら)われることなく存在した。そして、途方もない数の蓋然性があることを知っていた。これを言葉で表すのはかなり難しいのだが、そうした試みが行われるということがとても重要だ。(長い休止)君達の意識は限りなく独特で創造的なプロセス(進行過程、進展、前進)の一部なのだ。
私は「神」という言葉を使うのを意図的に避けていくつもりでいる。というのも、これまでの宗教がその言葉に与えた意味合いがあるからだ。私は本書全体を通じて、この天なるプロセスの特徴を説明してみようと思う。このプロセスを私は「在るもの総て」と呼ぶ。在るもの総ては自ら創造したものとあまりにも一体になっているので「創造主」とその「(被)創造物」とを分けるのは殆ど不可能だ。というのも、それぞれの創造物にも各自の根源の特徴が備わっており、それを拭(ぬぐ)い去ることはできないからだ(次のページへ続く)。