Seth Network Japan
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才能と観念

健康への道
セッション 1984/02/05

マサ 訳

 さて、君達にまた新しい最高の午後を。
 (「こんにちは、セス」)
 コメントだ。

 君達二人(バッツ夫妻)を取り巻く観念の中には極めて不都合なものがあった。少なくとも部分的に偏執狂的であり、いずれにしても好ましくなかった。それは素質、能力、あるいは天賦の才に関わる観念群だ。

 (午後 4 時 7 分。看護師が入ってきてジェーンの体温を測った。さらに下がって 36 度 8 分。ジェーンは少しジンジャーエールをもらった。)

 (4 時 12 分)それは誤った平等の概念や民主主義政治に関係した一連の観念で、視野を歪めてしまうものだった。この観念群は心理にも関わっており、「常識」や「普通の人」などといった事柄(価値観)にも絡んだものだ。できるだけ周りの人達と同じであろうとし、他のみんなと違うせいで除け者にされかねないことは隠そうとする。変わった性格や欠点ならまだしも、才能や能力までも人目に触れぬよう気を遣うわけだ。その結果、次のような一繋がりの観念になった。

 「何かしら抜きんでた才能がある場合、それほどの才能がない振りをするか、才能を披露、発揮するにしても極力控えめに済ませること。さもなければ、みんな、羨(うらや)むか、怖れるか、あるいは『自分達のレベル』にまで引きずり下ろそうとするだろう。

 (4 時 16 分に長い休止)天賦の才が人並み外れて独創的であればあるほど、他人の猜疑の目から自分を護(まも)らなくてはいけない」。そして、この観念群はこう続く。「自分の才能が全く他に類を見ない独特なものであるのなら、そんな才能などないことにしてしまう方が安全だろう。あるいは、何らかの障害かハンディキャップを背負い込むことで人々の嫉妬や羨望を鎮(しず)めるのもいいかもしれない。さもなければ、彼等は寄って集(たか)って追い詰めてくることだろう」。

 さて、君達は二人共、頭のてっぺんから足の爪先まで、こうした観念でいっぱいだった。ルバートは詩作と執筆活動のせいで、君は絵画のせいでだ。君は早い時期に商業制作の世界に入った。そこでは、絵を描くことに対する君の想いに「お金が必要だから」という月並みな隠れ蓑(みの)を着せることができた。すなわち、君は明らかに自分の生計を立てるための芸術家だったわけだ。それもまたアメリカ人男性の慣習的な役割を示す一例だった。

 若き女性としてのルバートは、作家というものは ──

 (4 時 23 分。カーラがジェーンの血圧と脈拍を測ってくれた。僕がここまでのセッション記録を読んでいる間、ジェーンはタバコを1本吸った。)

 (4 時 29 分)── 社会の片隅にいるものだと感じていた。ピリオド(バッツへの指示)

 詩人に関する彼(ルバート)の考えは数々の観念に「汚染」されていた。すなわち、詩人というものは人生における様々な体験に対して感受性が強すぎるとか、傷つきやすすぎるとか、その感受性が強さではなく弱さをもたらすとか、それが理由で真の芸術家や詩人は不運な最期を遂げるなどといったものだ。